NPO法人 市民活動情報センター(SIC)   特定非営利活動法人 市民活動情報センター -Shiminkatsudou Information Center(Civic Action Clearinghouse)-

世の中の矛盾で涙を流す人が一人でも少なくなるような社会づくり
 トップページへ

http://sicnpo.jp/

組織の概要 (設立:1995年8月(法人化2003年3月)、代表理事:今瀬政司)    事務所(大阪、東京)へのアクセス
News・お知らせ トピックス 政策形成事業 市民活動等推進事業 市民活動等支援事業

今瀬政司メモ(2013/5/6~7)
(NPO法人市民活動情報センター 代表理事)

今瀬政司メモ (INDEX(目次ページ)へ戻る)  今瀬政司の略歴等

沖縄の「屈辱の日」(政府「主権回復の日」)に、”主権””優しさ”とは何かを考える (2013/5/7-17:50) 
 
◆沖縄と日本本土との間の意識の溝が、拡大の一途をたどってしまっており、両者の関係は、まるで「闘い」とも言えるものになりつつあるようにも見えます。米軍基地被害などに象徴されるように、長い年月の間、沖縄が日本本土から「差別」され、「犠牲」となり続けていることが、その主な要因です。沖縄の独立論を論じる動きが、一部で再び増えているのも、そうした溝の拡大の一端を表しているとも言えます。しかし、差別する側、犠牲を強いる側(日本本土)は、普段、そうしたことをあまり意識していません。
◆通常の人間関係、人の生き方において、「自分のためなら他人を犠牲にしてもいい」、とする考え方は良くない(優しくない、冷たい)あり方とされています。しかし、沖縄と日本本土との関係においては、実態として、「自分(日本本土の人)のためなら他人(沖縄の人)を犠牲にしてもいい」、とする考え方がこれまで一般的に見られます(意識的、あるいは無意識的・結果的に)。どうしてなのか。人間の「優しさ」とは何なのか。沖縄と日本本土との関係に向き合っていると、常にその疑問にぶち当たります。小生自身、自問自答することもあります。

日本(本土)が主権を回復し国際社会に復帰したとされる1952年4月28日(サンフランシスコ講和条約発効)は、日本政府が沖縄を奄美・小笠原とともに、日本の施政権から切り離して、米国の施政権下(戦後1972年までの27年間)に置いた日です。その日は、沖縄の人たちにとっては、切り捨てられた「屈辱の日」とされています。そして、沖縄は今日いまも、「捨て石のままで、主権は回復していない(半主権状態)」と言われています。
◆4/28、沖縄で「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」(主催:同実行委員会)が開かれました。日本政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」開催に抗議する沖縄県民集会です。開催時刻は、政府式典と同じ時刻に合わせて午前11時にスタート、会場は、宜野湾海浜公園屋外劇場。お年寄りから若者や子どもまで、沖縄県内各地から多くの人たちが参加し、会場に入り切れなかった人を含めておよそ1万人超(主催者発表)が参加しました。
◆大会では、各界代表者の挨拶や大会決議・スローガンの採択などが行われました。参加者全員が肩を組んで歌った「沖縄に返せ」の歌が、小生、今でも耳に残っています。

「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」での主催者の配布資料
   (大会式次第/「沖縄に返せ」歌詞/大会決議文/大会スローガン、2013/4/28)

「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」の大会撮影動画(琉球新報社、2013/4/28)
  <分割版>
  「動画その1」  http://ryukyushimpo.jp/photo/storyid-205973.html
  「動画その2」  http://ryukyushimpo.jp/photo/storyid-205974.html
  「動画その3」  http://ryukyushimpo.jp/photo/storyid-205975.html
  <全体版>
  「ライブ中継・録画 USTREAM」  http://ryukyushimpo.jp/news/page-385.html

◆沖縄本島最北端の辺戸岬に、「祖国復帰闘争碑」があります。断崖絶壁の辺戸岬に立つと、前方(北方)に与論島(鹿児島県)が見えます。 かつて米国の統治下にあった時、沖縄の人たちは日本本土復帰を願って、ここから、のろしを上げていたということです。その辺戸岬にある「祖国復帰闘争碑」には、次の碑文が書かれています。

 
祖国復帰闘争碑  「全国のそして全世界の友人へ贈る」

吹き渡る風の音に、耳を傾けよ。権力に抗し、復帰をなし遂げた、大衆の乾杯の声だ。打ち寄せる、波濤の響きを聞け。
戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ。

“鉄の暴風”やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は、米軍占領に引き続き、1952年4月28日、サンフランシスコ「平和」条約第三条により、屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた。米国の支配は傲慢で、県民の自由と人権を蹂躙した。祖国日本は海の彼方に遠く、沖縄県民の声は空しく消えた。われわれの闘いは、蟷螂の斧に擬された。

しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯であることを信じ、全国民に呼びかけ、全世界の人々に訴えた。

見よ、平和にたたずまう宜名真の里から、27度線を断つ小舟は船出し、舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ。今踏まえている、土こそ、辺土区民の真心によって成る沖天の大焚火の大地なのだ。1972年5月15日、沖縄の祖国復帰は実現した。しかし県民の平和への願いは叶えられず、日米国家権力の恣意のまま、軍事強化に逆用された。

しかるが故に、この碑は、喜びを表明するためにあるのでもなく、ましてや勝利を記念するためにあるのでもない。

闘いをふり返り、大衆が信じ合い、自らの力を確め合い、決意を新たにし合うためにこそあり、人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の攝理の下に、生きながらえ得るために、警鐘を鳴らさんとしてある。

日本政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」と、それに対する「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」。それらの開催は、「「主権」とは何なのか」、と改めて考える契機ともなっています(沖縄の若い人も、日本本土の人も)。沖縄は1972年の日本復帰後も、いまだに「半主権」回復の状態にあるのが実態です。沖縄にとって「主権」とは何か。さらに、日本にとっての「主権」とは何か。市民一人一人にとっての「主権」とは何か。地域一つ一つにとっての「主権」とは何か。私たち一人一人が、改めてその問いに向き合い、その十分な確立を求めていくことが大事であると改めて思います。
◆小生、沖縄の「主権」の問題について、自分の 著書(今瀬政司『地域主権時代の新しい公共 希望を拓くNPOと自治・協働改革』(学芸出版社))において、以下のことを書いております。自分自身、「主権」の意味とその確立について、今後とも模索を続けたいと思っています。

「今瀬政司『地域主権時代の新しい公共 希望を拓くNPOと自治・協働改革』(学芸出版社)」より抜粋

「[事例]沖縄の人々の「自治権(市民主権・地域主権)」の獲得と喪失の歴史」(4章1-3、213頁以降)の一部

⇒「日本の歴史においては、市民あるいは地域にとって、「主権」は時の権力者から与えられるもので、市民・地域が自ら「主権」を確立・獲得するという動きは決して多くはなかった。そうした日本社会にあって、沖縄での「自治権」をめぐる闘いの歴史と今の現実は、「市民主権・地域主権」の確立の真の意味を示すとともに、今後の日本社会における主権確立の可能性のバロメーターになるとも言える。」
⇒「沖縄にある米軍基地問題が象徴するように、日本本土では類を見ない「差別」に苦しむ沖縄。そうした「日本であって日本にはない」沖縄の人々の苦しみ、他律の歴史は、沖縄が琉球王国であった時代に島津氏(薩摩藩)が武力を伴って侵入し、琉球王国を属国として支配した400年前に遡る。」
⇒「日米最大の地上戦が沖縄で行われ、上陸したアメリカ軍により占領され、その後27年間の長きにわたり、アメリカに占領支配された。軍事優先の占領政策の中で、沖縄に「自治権」というものはなく、すべてのことを米軍が布令・布告する形で決定していた。」
⇒「当時、「自治は神話なり」「米軍政府は猫で、沖縄は鼠である。猫の許す範囲でしか鼠は遊べない」などと、公然と発言する高官も現れた。」
⇒「占領政策の中で、沖縄の人たちは、自治権を「勝ち取る」ために、極めて激しい闘争を米軍と行った。1950年代には米軍による強制的な土地収用に対し、沖縄の人々が一体となって闘ったが、力の前になすすべもなく、土地が奪われて基地が建設されていった。60年代からは「自治権」獲得の闘いを繰り広げていった。そして、1968年にはついに行政主席の公選などを勝ち取って、沖縄の復帰運動へと向かっていった。」
⇒「1972年、日本への施政権返還がなされ、沖縄県として日本に復帰した。だが、自治権を勝ち取る闘いの中で、「沖縄を日本に返せ」との訴えから、「沖縄を沖縄へ返せ」との訴えに変わっていった運動が示すように、過去、アメリカに占領される前から、薩摩藩に支配され、武力で強引に日本(明治政府)に組み込まれてきた歴史を背景に、沖縄の人々の日本復帰への思いは複雑なものであった。」

◆今瀬政司の沖縄関連レポート・メモ
 寄稿: <論壇> 「日本と違う沖縄に衝撃 基地解決の困難さ 痛切に」 (今瀬政司、『沖縄タイムス』、2010/5/12) (pdf:590kb)

 メモ: 「沖縄のいまを訪ねて」 「沖縄でのホームレスの方々との出会い」 (今瀬政司、2010/4)
 メモ: 沖縄と本土との関係に「人の優しさとは何か」を考える (今瀬政司、2012/12/10)

   ページ上部へ
朝鮮半島情勢の緊迫(北朝鮮、ミサイルを発射場から移動か) (2013/5/7-8:10) 
  ⇒【朝鮮半島情勢の情報】へ
◆ロイター(ワシントン、5/6)が、本日(5/7)、米国当局筋がロイターに明らかにした情報として、「北朝鮮が、2基の中距離弾道ミサイル”ムスダン”について、発射準備の態勢を解除し、東海岸の発射場から移動した」、と報じています。この情報の真偽と、もし事実の場合の意図を慎重に見ていく必要があると思います。
◆気になるニュース
  ・「北朝鮮のミサイルが発射場から移動、発射準備の態勢解除=米当局筋」(ロイター、2013/5/7-7:08 JST)
     
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE94501Y20130506
  ページ上部へ
朝鮮半島情勢の緊迫(北朝鮮、日本の憲法改正の動きに反発) (2013/5/6-22:50) 
  ⇒【朝鮮半島情勢の情報】へ
◆朝鮮半島情勢の緊迫が続いています。米国防総省は5/2、北朝鮮の核やミサイルの軍事力が大きな脅威になりつつあるとの報告書を公表しました。南北協力事業の「最後の砦」とされる北朝鮮の開城工業団地から、韓国側関係者が5/3に全員撤収し、事実上閉鎖状態となりました。
◆そうした中、朝鮮中央通信は、5/4、「極右へ猛疾走する日本を警戒せよ」と題する論評を発表して、日本への反発を強めています。論評の主な内容は以下の通りです。
⇒「安倍政権が日本社会を、去る70余年前の戦争国家を連想させる極右風潮で染めている」、「社会の右翼化を通じた保守勢力の強化を、7月の参議院選挙での勝利のための基本策略にしている」、「首相が出て”天皇万歳”を公然と唱えることによって、”帝国時代”の軍国主義雰囲気が蔓延し、政府閣僚と与野党国会議員の靖国神社参拝は日増しに拡大されている」、「17年間も右翼団体の民間行事として行われてきた”主権回復の日”記念式典を今年初めて政府レベルで行った」、「安倍(首相)は4/19、憲法改正の発議要件を緩和するための憲法第96条の改正意欲を再度表明した」、「憲法改正の敷居を下げて、憲法の核心条項である第9条を改悪するためである」、「第9条を修正すれば、日本は戦争憲法を持つことになり、軍事大国化と海外侵略の法・制度的装置を設けることになる。そうなれば、日本は国内法のいかなる制限も受けることなく侵略武力を世界の任意の地域に進出させて軍事作戦を行えるようになる」、「日本の急進的右翼化は本質上、戦争国家への疾走である」、「生き返った日本軍国主義はアジアは言うまでもなく、世界をまたもや重大な戦争の災難の中に追い込みかねない」、「日本社会の右翼化を促している安倍政権の醜悪な姿は、東アジアをはじめ世界の各国・地域人民の大きな警戒心と懸念を呼び起こしている」
◆そして、韓国の聯合ニュースの情報(5/6)によると、本日5/6から(5/10まで)、米国の原子力潜水艦などが参加して、米韓両軍による対潜水艦訓練が黄海で開始されているようです。北朝鮮が反発してきた米韓両軍の野外機動訓練「フォールイーグル」が4/30に終了したことなどで、緊張緩和、対話再開が期待される中、再び、北朝鮮の反発、威嚇が拡大していかないことを祈りたいです。
◆気になるニュース
  ・「DOD Report: North Korea Still Critical U.S. Security Threat (By Cheryl Pellerin American Forces Press Service)」(U.S. Department of Defense、2013/5/2)
    http://www.defense.gov/news/newsarticle.aspx?id=119924
  ・「극우익에로 맹질주하는 일본을 경계하라」(조선중앙통신 2013/5/4)(「極右へ猛疾走する日本を警戒せよ --朝鮮中央通信論評--」(朝鮮中央通信 2013/5/4))
     http://www.kcna.kp/kcna.user.article.retrieveNewsViewInfoList.kcmsf#thi
  ・「韓米 黄海で対潜水艦訓練開始=米原子力潜水艦参加」(聯合ニュース、2013/5/6-:02 KST)
     http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2013/05/06/0900000000AJP20130506001600882.HTML
  ページ上部へ
訃報、中坊公平さん (2013/5/6-19:50) 
 
中坊公平さんが、5/3にお亡くなりになられました。お悔やみを申し上げます。
◆(元)弁護士の中坊さんは、豊島(香川県)の産業廃棄物不法投棄事件の住民側弁護団長として、また、日本弁護士連合会・会長、 大阪弁護士会・会長、住宅金融債権管理機構(整理回収機構)・社長、森永ヒ素ミルク中毒事件・弁護団長、豊田商事巨額詐欺事件・破産管財人、小渕恵三内閣・特別顧問などとして、社会(特に弱い立場の人々)のために多大なる貢献をなされました。
◆小生は、豊島の地域づくり(島おこし)とともに、「廃棄物対策豊島住民会議」のお手伝いを1990年代初め頃から行っていますが、その運動の中で、中坊さんと何度かご一緒させて頂きました。中坊さんが、豊島住民と共に長い年月、巨大な相手と闘い続けたお姿。住民の方々に真正面から向き合い続け、住民の方々を勇気づけ、本気で怒り、本気で泣いていたお姿。住民の方々を優しく包み込むようなお姿、笑顔。そして、住民会議の集会を終えて豊島から帰る船の中など、お一人になった時、ひどくお疲れになったご様子でウトウトされているお姿。忘れられません。とても残念でなりません。深くお悔やみを申し上げます。
「「豊島」ホームページ(市民活動情報センター版)」へ
  ページ上部へ
会津若松の観光客や修学旅行が回復の兆し (2013/5/6-19:50) 
 
◆「3.11」の原発危機で激減していた観光客が、会津若松(福島県)で戻りつつあります。会津若松は、福島第一原発から西におよそ100km離れていますが、北に同じおよそ100km離れている仙台などと異なって、「福島県」内ということで風評被害が非常に深刻で、観光施設や土産物店・飲食店から観光客の姿が見られなくなっていました。 会津若松は、宮城県・新潟県など各地から多くの修学旅行を受け入れていましたが、それも激減していました。宮城県は発災後早々に修学旅行の中止や他地域への変更の方向が表明され、福島・会津若松の方からは、「同じ被災地なのに」との声も聞かれました。その状況は、長い間、会津若松の人たちが地道に取り組んできたまちづくりや観光振興などの取組み自体が被害を受けたかのようでもありました。
◆それが、「3.11」の発災時から2年以上が経つ中で、観光客の姿がだいぶ見られるようになってきて、修学旅行の行き先としても会津若松の人気が回復の兆しを見せています。風評被害の影響が若干和らぎつつあることや、NHKの大河ドラマ「八重の桜」放映の効果もあるようですが、それとともに、会津若松の方々が自分自身と自らのまちに誇りを持って、風評被害に立ち向かい、様々に工夫した取組みを地道に行ってきていることの成果が表れつつあるものと思います。原発危機はこれからも長く続く問題ですが、会津若松のまちに笑顔が増えていくことを期待しています。
◆論文:今瀬政司 「3.11と闘う福島・会津若松 ~発災からの半年間~」(社)奈良まちづくりセンター『地域創造』第50号 (pdf:539kb)
◆気になるニュース
   ・「「会津に修学旅行」復活の兆し」(読売新聞、2013/5/2)
  ページ上部へ

今瀬政司メモ(INDEX)へ
今瀬政司の略歴・実績へ

NPO法人 市民活動情報センター(SIC) (C) Copyright  特定非営利活動法人 市民活動情報センター
 URL: http://sicnpo.jp/  (このホームページは1995年8月に開設しました)

【大阪事務所】 〒540-0026 大阪市中央区内本町1丁目4-12 エンゼルピックビル305号
          TEL:06-6944-7799  FAX:06-6944-1944
【東京事務所】 〒101-0063 東京都千代田区神田淡路町1丁目13-4 淡路町ビル3階
          TEL:03-3258-4999  FAX:03-3258-4998
E-mail:
sic☆sicnpo.jp ←メールは☆を@に変えて下さい
旧ホームページ  http://www1m.mesh.ne.jp/~sic/  ※1995年~2001年版  ※2001年~2012年8月版
※トップページ(Welcome HomePage)より下層の各ページにおいて、内部リンク先が、旧ホームページアドレス宛になって、正常に見られない場合は、アドレス(URL)の旧部分【http://www1m.mesh.ne.jp/~sic/】を、新しい【http://sicnpo.jp/】に書き換えてご覧下さい。