先進国に追い付き追い越せと一生懸命に経済を成長させていった結果、日本は気が 付いてみれば随分と豊かになっていました。その発展に伴って、産業公害の発生や、 都市化、レジャーランド化による埋め立てなどによる自然の改変が進み、コンクリー ト護岸になってしまったふるさとの川、あるいは水質の悪化など近代化のひずみが発 生しました。物質的な豊かさを追及していった高度経済成長期には、全国で画一的な 政策は可能でまた有効な手段でしたが、社会が豊かになり成熟していくにつれ、地域 独自の自然や風土、伝統や歴史そして文化に根ざした地域づくりが求められるように なってきました。国もそんな時代になったことは、知っていたのですが、補助事業と いう制度では、どうしても全国一律の考え方の補助事業制度になってしまい、せいぜ い地域の自治体の工夫を期待するという表現になっていたのです。この頃、モデル事 業という制度がたくさん生まれたことは地方の時代と無関係ではなかったのです。
それでは地方の時代になって初めて地元学が広がったのか、それまでは何をしてい たんだと言われそうですが、ある意味ではそうですし、一部の先進地ではそうではあ りませんでした。地域おこしで有名な北海道の池田町、大分県の大山町、湯布院町な どです。
でも、池田町、大山町、湯布院町は今でも先進地であるし、その先進地に学び、触 発され二番目に地域づくり、村おこしをスタートさせていった町や村は悉く失敗して いきました。なぜでしょうか? 失礼な言い方ですが、失敗した実例に学ぶことは大 きいと思いますので少し考えてみましょう。
私には、基本的なことを忘れていたせいではないかと思えます。それは、地域固有 の文化、地域らしさの把握がなかったのだろう、生活文化を創造していくという姿勢 がなかったからだろうという仮説を持っています。地元の地元による地元のための調 査研究から地域独自の生活文化を常に革新的に受け継ぎ創造していく地元学の視点が 欠落していたのではという思いを強くしています。地域の生活、特に地域文化を日常 的に創造していく視座を持たない地域づくり、あるいは村おこしなるものは必然的に 固定化し魅力のないものになっていったのだろうということです。
勿論、伝統的な町並みや家並みなどの文化歴史遺産を継承し、森や川、海べりなど
を残すことも忘れてはいけないことです。古びていくに従い美しくなっていく町とは
いいものですが、地域の人がそういう価値観を保持し続けている、伝統を今に新しく
使いこなし続けているから残っていることを忘れてはなりません。その意味で継承し
保全することも創造に含めていいと思います。
[地域の風土と生活文化の厚みがモノを作っていく、地域創りもそうではないか。]
モノづくりに必要な考え方として「地域の風土と生活文化の厚みがモノを作ってい くんだ」と私は思っています。モノに限らず地域を作っていくときにも、地域の風土 と生活文化の把握あるいは充実は欠かせないものであろうと思います。
地元学は単に地元を調べ知るだけでなく、「それは何なのか?」と問い続け「地域 を地域たらしめている何か?」を探し出しあるいは光を当て、創り出していく行為だ ということです。しかも生命が常に外からあるいは内からの刺激を受けて躍動してい るように、地元学という行為は生きていること、常に蠢いていることが大事なことな んだと最近思うようになってきました。
そんな思いから、これまで他所のことを他所の人が調べる感じが強かった地元学と いう言葉に、地元に住む者の眼差しを注いでみたいと思います。私の住んでいる水俣 のこと、水俣で調べ、考え、分かってきたことを基にして話を進めていきたいと思い ます。