これからのNPOには政策提案力が求められる。わたしはこれからのNPO像を、NPOは公共活動の担い手として、1)地域・コミュニティに責任を持ち、2)行政に対して責任を持ち、3)行政・企業との間に協働関係を構築し、4)政策提案力を持ち、5)プロフェッショナルな専任スタッフを抱え、公共責任をまっとうしようという強い意思を持った個人で構成される、法人格を持った公共活動団体とイメージしている。その中で、政策提案力をこれからのNPOに求められる最重要機能と位置づけている。本論においては、NPOの政策形成力とこれからの公共政策の関係について言及してみたい。
わが国の公共政策を取り巻く環境は、以下のような状況に直面している。まず第一は、政府(議会を含めた中央政府、地方政府)の政策能力の低下と限界だろう。つまり、急速に進展する少子・高齢化、行財政の破綻、経済活力の低下、行政ニーズの量的拡大と多様化、グローバルスタンダード化、地球環境問題等々にみられるように複雑化、複合化、特殊専門化、グローバル化する政策諸課題に対して、政府の政策能力がついていけないということである。能力を補完するための審議会、委員会、私的諮問機関等が準備されているものの、利益集団とのバランスのうえに政策が提案されたり、事務局である行政案の追認機関として利用されているのが実状だ。大学の活性化、政府から独立したシンクタンクの育成等、多発する問題群解決のための新たな知的インフラ整備が急務といえよう。
二つ目は、政府に対する国民の信頼関係の崩壊である。政治家や高級官僚の不祥事、官官接待、食料費の不正支出という事件の続発が、政府に対する日本人の信頼関係を失墜させた。公すなわち国家・行政という日本人の公意識は、行政依存という批判されるべき側面をもってはいるものの、裏を返せば行政に対する国民の信頼感の現れでもあった。この信頼関係の崩壊が何をもたらすのだろうか。考えられることは、政府に対するあきらめが強まり、逆にいままで以上に依存体質を強めるの結果になるのか、あるいは、公共政策に積極的に関与する形で対行政責任、つまり政府活動にみずからが責任を持とうという意識が育つのか、これが今後の公共政策のあり方に大きく影響を及ぼすだろう。
三つ目は、トータルとしての国家ビジョン・社会ビジョンを描く構想力の欠如である。現在、中央政府においては6大改革、つまり、行政改革、経済構造改革、金融システム改革、社会保障改革、財政構造改革、教育改革が進められている。しかし、諸改革の整合性・総合性の欠落はもちろんのこと、手段としての改革によってどういう国家や社会をつくろうとしているのか、そのビジョンがトータルとし国民に提示されていない。これは、地方政府とて同じことで、上記制度改革を受けてどういう政府をつくろうとしているのか、どういう地方自治体経営を考えているのか、また、地方分権化が地域住民の生活に具体的にどのように影響を及ぼすのか、団体自治と表裏一体である住民自治に対しては具体的にどのような姿を想定しているのか等の地方自治ビジョンがそれぞれの地方政府からは明らかにされていない。船橋晴俊は、「「社会構想」とは、望ましい社会についてのイメージをその構成原理の水準で提示するものであり、その要素としては、社会形成のための基本的理念群、社会制度の骨格的ビジョン、及びそれらの前提としての、規範的ならびに事実判断的な人間観が含まれる。望ましい社会のイメージは、望まし生活のあり方は何かという主題の探求を内包している」(「社会構想と社会制御」)とし、社会構想の核心をなすのは、人間社会のあるべき姿についての原理的な考え方の提示であると述べている。
公共政策を取り巻く以上のような閉塞状況を打破しようとすれば、政治家や行政、審議会等の既成の政策コミュニティ(政策形成・決定者のネットワーク)のみに政策形成を任せるわけにはいかない。多種多様な政策課題に直面し、その解決に現場サイドで努力しているNPOの経験知と実践知に裏付けられた政策提案力に、その可能性を夢見ざるをえないのではないだろうか。
宮川公男は、「公共政策とは、社会全体あるいはその特定部分の利害を反映した何らかの公共問題について、社会が集団的に、あるいは社会の合法的な代表者がとる行動指針である」と定義づけている。また、「公共政策決定は単なる手段的問題解決ではなく、問題を提起し、問題の構造を明らかにし、その説明を加え、代替案を提示してその選択に関する示唆を与え、実行のための責任を配分するというプロセスであると考えることを意味する」(『政策科学入門』)と述べ、国民の共通目標がない現在の不確定な時代においてこそ、政策形成のプロセスに「公衆を民主的審議に参加させること」の重要性を強調している。戦後50年、いや明治100年来のわが国の政策形成をあえて政府主導型の政策形成の時代と呼ぶとするならば、これからの時代は地域・コミュニティ主導型の政策形成の時代といえよう。つまり、従来の中央政府によるトップダウン方式から、地域住民の参画によるコミュニティ現場からの、ボトムアップ方式での政策形成をめざすべきだろう。そうすることによって、政策というものが住民や国民にとっては親しみやすく、わかりやすく、そして生活実感に根ざした身近なものとなるに違いない。
ところで、公共政策はすべてわれわれののくらしに関わることなのに、国民や市民には難しすぎて、縁遠い存在となっている。政府の公共活動のための指針や活動方針という受け止め方が一般的である。政府が立案し、利害関係団体との調整をおこない、市民参加による形式的な意見徴集や、審議会や委員会での専門的意見を参考にして最終的には議会とのやりとりで決定されるものというイメージである。しかし、市民やNPO、そして企業も公共活動の担い手であるという意識を持つべきことの重要性については、「NPOは日本の社会を救えるか」で述べたところであるが、その考え方を公共政策の概念にも当てはめてみる必要がありそうだ。公共政策には、狭義の公共政策と広義の公共政策があると考えられる。狭義の公共政策とは、前述した公共政策イメージが示しているように、政府が政府活動領域のみで政策形成を完結させようとする閉じられた政策である。視点をかえてわかりやすくいえば、公共的問題や行政需要に対して、市民やNPO、企業の力を借りずに政府のみで対応しようとしてきた大きな政府の時代の公共政策といい換えることができるだろう。それに対して広義の公共政策とは、政府、市民・NPO、企業の各公共活動をトータルな公共政策の対象としてとらえ、それらの連携と役割分担による公共活動の総合化をめざすとともに、政策評価も組み込まれた開かれた政策だ。そしてまた、この広義の公共政策は、簡素で効率・効果的な小さな政府を実現するための、官民協働型の政策形成と位置づけることができよう。
このことに関連して、寄本勝美は、「公共化した問題は公共の問題としてまず受けとめていかねばならないが、この公共を担うのは、行政のみならず、市民と企業なのである。公共の問題ごとに、これらの三つの活動主体、すなわち「三つの市民」は、どのように役割を分担し、公共的な対応をしていけばよいのだろうか。この課題に具体的に応えるのが、公共政策に他ならない。すなわち、これら三者の役割の分担と組み合わせの体系を描くのが、公共政策」(「公共を支える「民」と公共政策」)なのであると述べており、「「役割相乗型」の公共政策」の追求を示唆している。
ところで協働とは、公共活動の共通目的を達成するために、お互いの立場を尊重した対等の関係で共同事業を行い、それを通じてお互いの組織や活動内容の刷新・向上をはかるための、改革を前提とした行動原理である。NPOにいま求められているのは、このような協働概念を踏まえた政策形成への挑戦であろう。これは従来のように、政府に対する一方的な政策提案のみで満足するのではなくて、政策立案段階から、決定、実施、評価にまでいたる一連のプロセスに政府、議会等を巻き込みながらの政策形成ということになろう。そのためにも、NPO自身に政策構想力や専門性、調整力等がいま以上に求められることになる。また、市民やNPOの政策ニーズを掘りおこし、協働型の政策形成を専門とするシンクタンクが多様に育つ必要もあろう。
さてそれでは地域レベルで、NPOが早急に取り組まなければならない協働型政策形成として考えられるのは、地方政府によるNPO支援策の問題であろう。政府によるNPO、あるいは市民活動に対する支援のあり方については、あまりにも本質的な議論がなさすぎる。安易な政府支援は、結果として日本のこれからの社会に求められるNPOを根絶やしにしてしまう恐れが十分にある。例えば、ボランティア活動という本来的には個人の自発性に任されるべき心の領域に、善行運動よろしく政府が推奨の旗を振り、育成の必要性を説き、支援は政府がやるのが当然だという思い込みに近い最近の動向は気にかかる。また、それを許している世間の風潮はいただけない。ましてや、当事者であるNPO側からの異論の意思表示があまりみられないのが気がかりだ。このままでいくと、政府による保護・育成・管理型のボランティア社会が出現しそうな勢いである。
誤解のないように申しあげたいが、わたしは、阪神・淡路大震災のボランティアを否定したり、「ボランティアはよくない」、「ボランティアをすべきでない」、また「政府はこの分野に一切ノータッチであれ」と決していっているのではない。これからは、市民によるボランタリー(自発的)な社会活動、つまり社会が抱える問題や課題を解決するための日常的な活動が育たなければ日本の社会は不安定にならざえをえないということは、百も承知である。しかし、災害非常時における政府とのボランティアネットワークのありようと、常時の関係のありようとが区別されずに検討されていたり、また最近のマスコミ報道で目につくのは、日常生活で当たり前のごとく自然にやっている奉仕活動や助け合いを、あらためて「ボランティアで参加」とつけ加えている不自然さはいただけない。危惧されるのは、「みんなそろってボランティア」という優しいかけ声の裏に、無意識の強制力が働いてはいないかということである。同質化、画一化に流されやすい日本人気質が気にかかる。ボランティアをやる自由と同じように、ボランティアをやらない自由も保障されるべきだ。また、ボランティアを自由に選べる自由も認められるべきだろう。例えば、福祉でなければボランティアではないような空気が一部にみられるのも気にかかる。活動内容を優劣で判断してはいけないと思う。多様で柔軟な、そして出入り自由な、オープンなボランティア社会であってほしいと思う。
また、行財政改革による簡素・効率的な小さな政府活動が求められている現状からしても、ボランティア活動・市民活動領域にまでも政府活動領域を単純に広げるべきではない。政府にとってみればこの分野こそ、民間活力活用の最適な分野だといえる。肝心なことは、今後ますます増大する個人のボランティア活動が有効に社会に生かされるために、その受け皿としての多種多様なNPO、そして多くのNPOを育てることではないだろうか。政府は、個人に直接的にアクセスしようとはせずに、市民活動団体やNPOのような組織体にアクセスし、その支援策を慎重に検討すべきだと思う。お互いのためにも、究極の目的は、自発性・自律性・先駆性・挑戦性を持ち味とするたくましいNPOを、日本の社会に多く育てあげることではないだろうか。
わたしは、地方政府のNPO支援の基本的なスタンスを次のように考えている。つまり、基盤的な間接支援ということになろう。それには三つの支援策が考えられる。まず第一には、NPO立支援センターへの支援である。昨今、各地にNPOによるNPO支援のための支援センター設立の動きがみられる。東京、大阪、広島、仙台、名古屋・・・というように、試行錯誤の見切り発車的なスタートではあるが、政府に頼らずに自分たちでNPOの組織基盤、あるいは活動基盤を強固にするための総合的な支援をおこなっていこうというものであり、その独立精神と挑戦精神は大いに評価されるべきだといえよう。しかし、財政事情は火の車のところがほとんどで、助成財団等からの助成金を運営費にまわすことで当面の運営をしのいでいるが、このままでいくと、助成期間の終了とともに支援活動が弱体化する恐れがいまから予測される。このNPO立支援センターにこそ、政府は支援をすべきだと思う。例えば、ボランティア情報、NPO情報のデータベース化事業や、ボランティア学習や、NPOの経営マネジメント講座を政府みずからがおこなうのではなくて委託事業として支援センターに資金を循環させるとか、NPOに関する調査委託をおこなうとか・・・、間接的支援の方法はいろいろと考えられるだろう。
ところで、昨今、地方政府立の支援センターの設立も活発になりつつあるが、わたしはその動きを頭から否定するつもりはない。しかし、何年後かに、NPO立支援センターに運営を全面的に委託をするという、公設・民営(NPO運営)方式を前提とした設立であってほしいと思う。それこそ当初の段階から、政府とNPOとの協働事業として立ち上げていけることができれば最高だといえよう。
二つ目に考えられる支援策は未利用の行政施設の活用である。例えば、小学校などの空き教室を事務所スペースとしてNPOに低家賃、あるいは無償に近い形で貸し出すことが可能ではないだろうか。活動拠点の確保は、NPO活動のパワーアップに寄与する大きな条件である。
三つ目は、間接的な資金的支援である。原則として従来からの補助金の廃止を前提に、政府から独立させる形で、例えば、市民の寄付、企業の寄付、そして政府の資金を加わえて公益信託的な支援基金をつくることが可能ではないだろうか。それに加え、民間の金融機関と政府がタイアップする形で、NPOに対する低金利の融資制度の創設も検討の余地があろう。
また、NPO支援策とともに取り組まなければならない協働型政策形成として列挙すれば、次のようになる。政府とNPOとの相互理解を深めるための方策として、行政側からの積極的なNPO行事への参加、お互いの情報交換を兼ねた政策協議の場の設定。また、政府の人材育成を目的とした研修制度として、職員のNPOへの出向派遣制度の確立。情報公開制度の、情報の量・質両面からの改革。協働型の政策形成にふさわしい住民参加制度の確立。調査研究や公共財・サービス、公共施設の管理運営等のNPOへの委託事業の検討。そして、「NPOは日本の社会を救えるか」で提案したコミュニティ総合政策の立案作業がある。繰り返しになるが、コミュニティ総合政策はコミュニティにおける地域住民の生活や、経済的いとなみ、福祉、都市計画等に関わるあらゆる諸政策が、NPOや住民のイニシアチブを前提に、地域の特性や実状を踏まえて連動・統合化された、コミュニティを対象とした総合政策の研究である。
以上、地方政府との関係における協働型政策形成の具体的内容について述べてきた。NPOに法人格を付与するためのNPO法案や、寄付税制の改革などは、中央政府(国会を含む)に対して積極的に働きかけなければならないことはいうまでもない。しかしその一方で、NPOに求められているのは、地方政府との関係における協働型政策形成力の強化ではないだろうか。
本論で述べてきたように、21世紀の日本社会に多発するであろう多種多様な問題・課題の解決のためにも、新たな知的インフラ整備が急務であることはいうまでもない。わたしは、その知的インフラを開拓し、支え、活性化をはかり続けていく役割がNPOに期待されているものと思っている。NPOの実践と経験にもとづく知見は、世紀末の現代社会が抱える20世紀文明の問題症候群の解決に手がかりを与えるものと確信している。
しかし現状は、それぞれの分野、あるいは関心領域での日常活動におわれ、政策化のための時間的、知的ゆとりを持てずにあくせくしているのが現状ではないだろうか。この現実を直視するならば、市民やNPOの政策ニーズ(公共政策化が必要な問題・課題群)を掘りおこし、それを踏まえて協働型の政策形成を専門におこなうシンクタンクが必要ことはいうまでもない。
NPO政策研究所は、以上の使命をもったシンクタンクの一つとして設立した。そして、本論で展開した論点と内容を踏まえNPO政策の研究と形成へ向けて活動を開始しつつある。最後に、あらためて研究所の目的やキーワードを整理し、21世紀の新しい知的インフラ整備のフロンティア・シンクタンクとしての成長を夢見て本論を終えることにする。
NPO政策研究所の目的は、NPOやNPOセクター発展・強化のためのNPOに関わる政策の研究、及びNPO活動と連動する公共政策の研究と実現を目的としている。突き詰めてれば、NPO政策の研究と実現ということになろう。NPO政策とは、NPO活動に関わる、あるいはNPO活動に連動する公共政策ということになる。関心・活動領域は、「コミュニティ再生」、「市民・NPO・企業等の民と行政との最適な役割分担や協働」、「公共政策の改革」である。つまり、研究所のキーワードは、「コミュニティ」・「協働」・「公共政策」という三つである。ご支援とご協力をお願いしたい。
<参考文献>
・『岩波講座 現代社会学26 社会構想の社会学』1997/11 岩波書店
・宮川公男『政策科学入門』1995/12 東洋経済新報社
・山梨学院大学行政研究センター『政策形成の課題と実際』1993/11
第一法規
・阿部斉『政治学入門』1996/4 岩波書店
・アーバン・インスティチュート編・上野真城子監訳『政策形成と日本型シンクタンク−国際化時代の「知」のモデル−』1994/4
東洋経済新報社
・監修下河辺淳『政策形成の創出−市民社会におけるシンクタンク−』1996/2
第一書林
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