ここ数年、NPO(民間非営利組織)に関心と期待が高まっている。最大のきっかけは、1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災における、ボランティア活動やNPOのはなばなしい活躍である。そして、それらの活躍に触発される形で、市民活動促進法案(NPO法案)制定へ向けての動きがおこり、NPOに関わる議論をより一層活発化させた。
昨年の11月には、NPOを総合的に支援する組織として、日本NPOセンターが東京で、また、前後して大阪NPOセンターも設立された。一方、神奈川県民サポートセンターや滋賀県の淡海文化振興財団のように、行政(以下、行政、政府、地方自治体などの用語を、それぞれの状況に応じて個別に使用する)による支援センターの設立も活発化しつつある。
昨今のNPOを取り巻く状況は活況を呈しており、NPOに関わる多くのセミナー、シンポジウムなどが開催されている。また、学者やNPO実務家、調査研究機関、行政などによる調査・研究が進み、民間非営利セクターの社会・経済的位置づけも理論的に明確になりつつある。
NPOとは、Non-profit Organizationの略語で、民間非営利組織と訳されている。行政でもなく、企業でもなく、営利を目的としない非営利の活動を行う民間組織のことをNPOという。非営利という概念には、営利を目的とせず、また事業によってえた利益を構成員に分配(配当)せずに、社会に還元したり、組織の活動に再投資するという了解が前提とされている。
NPOの台頭や、NPOに関する認識の高まりは、わが国だけではなく、欧米先進諸国をはじめ、アジア、ラテンアメリカ、アフリカなどの発展途上国や、社会主義国家体制が崩壊した東欧諸国などにもみられる世界的な傾向となっている。レスター・M・サラモン、H・K・アンハイアー『台頭する非営利セクター』によれば、その要因として、「国家の役割を再評価する大きな動きが進行している。社会福祉や開発といった現代の諸問題に対応していくのに、政府のみに依存すると、得られる効果に比べ費用(コスト)のほうが大きくなってしまう」として、国家・政府などの公的セクターや、市場・企業などの営利セクターにかわる第3の民間非営利セクターに期待が寄せれられているからだとしている。また、「社会主義、開発、そして福祉国家の危機に対処する唯一の解決策が民間非営利組織であると政策決定者がみなしはじめているというのは必ずしも適切な表現ではないが、世界のあらゆる地域で従来以上に役割を演じることを求められているのは確かである」と民間非営利セクターに期待を寄せている。
NPO(民間非営利組織)の社会・経済的位置づけを整理すれば、次のようになる。まず、社会組織論の観点からNPOは、社会を構成する主要セクター(公式セクター)である政府(公共)部門、営利(企業)部門と並ぶ、第三の非営利部門を構成する活動主体ということになる。経済学においては、政府の失敗と市場の失敗を救う、営利部門、政府部門に並ぶ非営利部門の経済主体ということになる。そこでは、政府部門が担う純粋公共財と、営利部門が担う純粋民間財の中間領域である、例えば、福祉サービスや、文化芸術活動などの準公共財を担う主体として期待されている。また、社会政策論の立場からは、社会サービスの供給主体という位置づけがなされている。社会サービスとは、経済学でいう準公共財に相当するサービスである。
一方、法制度上では、NPOに該当する団体には、法人格を持たない任意団体から、民法第34条で規定された財団法人、社団法人、特別法で規定された学校法人(私立学校法)、社会福祉法人(社会福祉事業法)、宗教法人(宗教法人法)、医療法人(医療法人法)などの公益法人。また、消費生活協同組合(消費生活協同組合法)などの各種協同組合。労働組合(労働組合法)や公益信託(信託法)なども含まれる。特殊法人を除く、政府系外郭団体である社団法人、財団法人も含まれている。NPO法のねらいは、法人格を持たない任意の市民活動団体に対して、簡単な方法で法人格取得を認めようというものである。
ところで、わが国にはおよそ8万から10万の市民活動団体が活動しているといわれている。経済企画庁の『市民活動レポート−市民活動団体基本調査報告書−』(1997年4月)では、「継続的、自発的に社会的活動を行う、営利を目的としない団体で、公益法人(社団法人、財団法人等)でないもの」を市民活動団体として定義づけ、それに該当する全国85,786団体(1996年9月末現在)に対して活動実態調査を実施している。
市民活動は震災で突如生まれ出たかの感があるが、決してここ数年の活動ではない。公害防止、消費者保護、自然保護といった運動が1960年代後半からおこり、その後、福祉、まちづくり、教育、環境、国際交流・協力などの分野へと活動が広がった。80年代後半以降はさらに多彩に、また量的に拡大しつつあったが、まさにその時期に震災がおこったということである。いづれにしても震災を機に、ボランティア活動やNPOの存在が世間に知られるところとなったのは紛れもない事実である。
わたしが、昨年の4月まで理事長をしていた社団法人奈良まちづくりセンターが総合研究開発機構から委託を受け、山岡義典(現日本NPOセンター常務理事)氏を委員長に調査研究を行った『市民公益活動基盤整備に関する調査研究』(1994年3月)において、市民公益活動を、「民間非営利活動の一部で、その中でも特に多くの市民の参加と支援によって行われる自立的な公益活動」と位置づけた。
またその意義について、
わたしはNPOを、「市民による自主的・自立的な非営利組織で、行政や企業では取り組めない社会のさまざまな問題や課題の解決に、先駆的・先見的に取り組んでいる公共活動団体」と定義づけている。以下、本論ではNPOを、このような意味内容を含んだ組織体として使用することとする。この定義では、NPOを政府・地方自治体などの公共団体と区別して、市民によって設立された公共活動団体とした。公共活動という言葉は、公共の利益のための活動である公益活動と同義語であるが、次章で詳述する公共領域の担い手としてのNPOを明瞭に表す言葉として使用している。
ところで、NPOや民間非営利セクターに関する理論化、あるいはNPO法案のような法制度化、行政によるNPO支援のための政策化などが進んでいけばいくほど、実体との乖離は避けられないようだ。また、「NPOは社会変革の担い手だ。いよいよ市民社会の構築に向けて、静かなる市民革命が進んでいる」とアジテーションめいた元気な物言いもなされている。わたしも、NPOに期待を込めて似たようなことをいってきた。しかしお題目のごとく何回となえても、そのようになるわけではなく、元気づけには有効だが、陶酔は禁物だと反省している。
また、いまでこそアメリカから持ち込まれたNPOという言葉を平気で使っているが、NPO活動を長く実践してきたリーダーからすれば、「アメリカのNPOはこうだ、イギリスのボランタリーセクターはこうだといわれなくても、またNPO論がどうであれ、社会にとって問題だと感じ、解決する必要があると思ったことを、誰からも強制されたわけでもなく、ごく自然に活動してきただけのことだ」と反発したくなるのではないだろうか。多くのリーダーは、NPOの存在が認められつつあり、また、将来に期待が高まりつつある状況を喜ばしく思っているのは確かだ。しかし一方では、現場の実態と、昨今のNPO論とのギャップの大きさを苦々しく思っているのではないだろうか。
そのためにも、日本の社会の実態をより踏まえたNPOの研究や、地域の現場に目を向けた活動基盤強化の動きが求められているといえる。<参考文献>
公すなわち国家・官僚という日本人の公概念は、いまなお、日本人の意識の中に根強く生きている。
国家に奉仕する「滅私奉公」が意図的に奨励された国家主義の時代にかわって、戦後は一転して、個人主義・自由主義・民主主義の理念や制度がアメリカから移入された。自由の概念や個人の自立が奨励され、戦前にかわる公概念の確立や公意識の醸成も期待された。
しかし自立した個人よりも、自由の意味をはき違えた利己的な個人が育ち、国家や行政に面と向きあい、ともに新しい公概念や公私関係を構築していこうという動きはおこらなかった。そのために国家や行政は、市民にとってはうさんくさい対象となり、忌み嫌われるか、権力悪の標的にもされた。反国家・反行政が政治運動、あるいは市民運動の行動原理にもなり、公という言葉は、ますます市民には縁遠い言葉となってしまった。
以上のような、戦後日本の公私関係は、行政にとっては、公共の世界を独占して、自らの行政権力を拡大し続けるのには好都合であった。その結果はいうまでもなく、行政組織の肥大化と、民に対する規制の強化となってあらわれた。
一方国民は、国家にかわって「滅私奉公」の世界を企業にみい出した。企業に忠誠を尽くして一生懸命働き、企業を成長させることが所得の向上をもたらして、豊かな生活が実現されると考えた。行政に対しては、税金を払って後はお任せするという態度、あるいは行政を無視するという態度を基本的にはとり続けた。しかしその一方で、利己的な要求を突きつけたり、行政権力の甘い汁を吸うという、公を私化する公私混同もしばしばみられた。
現代の日本社会の根底には、いまなお、そういった公私関係、あるいは公意識が根強く残っているものの、そういった関係や意識を改革していこうという動きが確実に育っている。行政に公共領域を任せるのだけではなくて、自らの手で公共領域を創造・形成する主体としてのNPOが育ってきているのである。
公共領域をわかりやすく説明すれば次のようになる。個人生活や家庭生活、友人関係などのいわゆる私的な関係領域ではなくて、地域や社会に対して関心と責任を持つ、個人で構成される社会的に組織化された活動領域が公共領域である。公共領域の活動主体は、私的領域を越えて社会、経済、政治などの問題に関心を持ち、それらの問題を解決するために組織をつくり、広く世間に訴え、自らも解決のために活動を行うという行動様式をもっている。
わたしはNPOこそが、制度化され、公権力が認めれれている従来の政府・公共団体に並ぶ、もうひとつの公共の担い手であると確信している。また、NPOには、公共領域の創造主体としての自覚とともに、私的領域に甘んじている個人を、公共領域へいざなう媒介組織としての役割も担っていると自負すべきであろう。
ハンナ・アーレントは『人間の条件』の中で、公的(パブリック)とは、第一に「公に現れるものはすべて、万人によって見られ、聞かれ、可能な限り最も広く公示されるということを意味する」、また第二には「世界そのものを意味している。なぜなら、世界とは、私たちすべての者に共通するもの」と述べ、公開性と共通性が公的領域の属性であり、公的領域は、「古代ギリシャの「ポリス」(都市国家)におけるように、人々が言論と行為を通じて共同に参与し、公共世界をともに建設していく歴史の輝かしい公的舞台」(千葉眞『アーレントと現代』)なのである。またアーレントは、人間は私的領域だけでは幸福とはいえず、公的領域に参画し、公共世界をともに建設していく過程で得られる幸せ、この公的幸福にこそ本当の幸福があるとも述べている(『革命とは』)。
ところで、公的幸福を味わっているNPO関係者は多いと思うが、公開性についての現状はどうだろうか。アーレントのいう公開性とは、NPO自身の組織や活動の情報開示もさることながら、例えば、NPOの法制化へ向けての議論、あるいはNPO論について、またNPOに関わる政策などについて、NPOどうし、あるいは異なったセクター間で激論が闘わされ、あたかも全国に論争の渦が巻きおこり、それらの論争を通じて意見が集約されていくような状況を理想としている。公開性をこういった状況としてとらえると、ここ2〜3年の、NPOに関わるシンポジウムやフォーラム開催などの動きはそれなりに評価されるものの、どちらかといえば当事者・関係者を中心とした限定された範囲内での議論にしかなりえていないのが実状だと思う。つまり公論になっていないということだ。また、NPOに関わる議論が画一化しつつあるのも気にかかる。NPO間で、もっと激しい多面的な論争があってもいいと思う。
さて、行政改革委員会がまとめた「行政の在り方に関する基準」(1996年12月16日)によれば、行政活動の遂行時に、行政関与のあり方を判断するための全般的な基準として、「可能な限り市場原理に任せる。さらには、非営利団体・非政府団体の活用についても検討する」としている。また、地方分権推進委員会の第2次勧告(1997年7月8日)でも、民間活動との連携・協力の強化をうたい、「近年、非常に盛んになてきているボランティア活動や民間の非営利組織による諸活動(いわゆるNPO)については、民間活動の持つ柔軟性等の長所を損なわせることのないよう留意しつつ、地方公共団体においても、情報提供等の必要な環境整備を行うものとする」としている。
NPO活動の現状における脆弱性が危惧されるとはいえ、規制緩和・行財政改革による「小さな政府」への流れ、そして地方分権化の流れは、行政活動を補完する公共サービスの供給主体として、また住民自治の担い手としてのNPOの役割を必然的に高めていくことになるだろう。
いづれにしても、行政による公共性実現の手段として、NPOの活用が強まることは目にみえている。そのためにも、行政が担う公共領域とNPOが担う公共領域についての、また公共性の基準についての議論や研究を、NPOから積極的に行政に働きかけていく必要があるのではないだろうか。<参考文献>
行政とNPOとの関係における基本的な問題は、「自主性・独立性を旨とするNPOに、行政は支援策を講じるべきなのか?」、また「NPOも、行政に支援を期待すべきなのか?」という問題である。『市民活動レポート』によれば、調査対象である市民活動団体の81%の団体が行政の支援を必要と答え、支援事項として「活動に対する資金援助」が複数回答で76.4%、続いて「活動や情報交換の拠点となる場所の確保・整備」が49.2%、「活動に必要な備品や器材の提供」が47.9%となっている。また、自治省の民間非営利活動研究会の『地域づくりのための民間非営利活動に対する地方公共団体のかかわりの在り方に関する研究報告』(1997年3月)によれば、全都道府県、全政令指定都市、各都道府県内の市区町村6団体に対するアンケート調査でも、自治体からの補助金などによる助成が全体の83.8%、基金による助成が44.4%の割合となっている。また、民間非営利団体を支援するためのボランティアセンター等の開設状況は、55.3%の自治体が既に開設しており、開設予定を加えると66.5%になる。
アンケート結果を、誤解をおそれずに単純に読みとれば、「行政に支援を求めるNPOの意向が強いので、行政もNPOの自主性を損なわない形で支援すべきだ。現実には、NPOをそれなりに理解して、補助金の給付やボランティアセンターの設立などの支援を既に行っている」ということになろうか。
しかしアンケート結果の推測はそうであったとしても、わたしのみる限りでは、現状のほとんどの行政は、NPOを充分に理解しているとは思えない。たとえそれなりに理解をしていたとしても、活動をそんなにも高くは評価してはいないだろう。NPOをうさんくさく思っている行政職員の方が、反対に多いのではないだろうか。一般的な見方として、NPOを行政施策遂行のための対象、あるいは行政管理の対象としてしかみていないのではないだろうか。首長も政治的裁量や温情で、市民活動団体に補助金を出しているケースが多いのではないか。もちろん個人レベルで積極的にNPO活動に参加したり、NPOを理解し、評価しようと努力している行政職員が増えてきているのも事実である。しかし、NPOに対する行政システム総体としての認識や評価は相当に低いと判断した方が、これからの関係構築を検討する場合に有益だと思う。
それよりも、NPO側の行政依存の方が気がかりだ。依存心が強い割には、多くのNPOは、今までほとんどといっていいほど、行政との間で定常的な関係構築を怠ってきたのは事実だ。これでは、行政にNPOを理解せよといっても無理な話である。NPOと行政との関係は、極端にいえばお互いを利用し合う、一時的・表層的な関係でしかなかったのではないだろうか。それ以外の関係は、反対する側される側という、対抗・否定的関係であったといえよう。
しかしよく考えてみれば、NPOの存在証明や、社会的認知も、他のセクターである行政セクター・企業セクターとの関係づけにかかっていると思う。行政人も企業人も含めいわゆる世間一般は、NPOが行政・企業とどういう関係を結んだか。対等に渡りあっているか。行政がNPOを頼っているか。また、NPOが行政や企業を巻き込んでいるか、というような具体的な姿をとおしてしかNPOを理解出来ないし、また力量を認めないのではないかと思う。
塩原勉は、「ポスト近代への移行過程において、非公式セクター(民間非営利セクター )は公式セクター(行政セクター・企業セクター )に取って替わることはない。しかし、非公式セクターからの対抗的インパクトによって公式セクターの変容と再編がすすみ、ひるがえってそれがフィードバックされて非公式セクターの変容と再編が進むであろう」(塩原勉「社会変動と自己組織性」、括弧内の注は筆者)と述ているように、NPOから行政への積極的な働きかけが必要だといえる。公共活動のパートナーとして行政との対等な関係を構築できるか、また、公共活動の最適な役割分担を行えるかどうかが、NPOの将来を大きく左右するだろう。
そういう意味でも、市町村などの基礎自治体とNPOとの協働が重要になってくる。協働とは、「地域住民と自治体職員とが、心を合わせ、力を合わせ、助け合って、地域住民の福祉の向上に有用であると自治対政府が住民の意思に基づいて判断した公共的性質をもつ財やサービスを生産し、供給してゆく活動体系である」(荒木昭次郎『参加と協働』)とされている。わたしこの定義を踏まえたうえで、それにより積極的な意味を加えて、「行政とNPOとの共通目的を達成するために、お互いの立場を尊重した対等の関係で共同事業を行い、それを通じてお互いの組織や活動内容の刷新・向上をはかるための、改革を前提とした行動原理」と定義づけている。信頼で結ばれた、緊張感ある対抗関係を前提に、「共に学び」・「共に育ち」・「共に変わる」がお互いの行動原理で、上下の下請け関係や、癒着関係であってはならないと考えている。
そこで、現在進められつつある地方行財政改革、地方分権の推進などを含めた総合的な自治体改革と、協働との関連性が当然に考慮されなければならない。つまり共通認識として、「自治体の財政縮減や、官僚的組織の硬直性などによる公共財・サービスの量的・質的両面からの限界を、NPOを中心に地域住民がカバーしなければ、コミュニティにおける生活の安定や社会保障の維持も不可能になる。また逆に、NPOが公共サービスを分担しなければ、行政のスリム化も実現出来ない」という考え方がお互いの了解事項でなければならない。そのうえに、「コミュニティレベルでの、住民・NPOイニシアチブによる住民自治の可能性に挑戦しよう」という共通目標の設定もなされている必要があるだろう。<参考文献>
歴史的町並み保存・再生の、18年間に渡る奈良での活動経験を踏まえて、わたしは、まちづくりを以下のように定義している。「まちづくりは、地域住民やNPO、そして行政との、相互の連帯と協力による日常的な実践活動で、地域の歴史・伝統・文化の継承とともに、歴史的環境や自然環境の保全・再生、住環境の向上、地域福祉、防災、教育、商業などの地域が抱える多種多様な問題や課題を総合的に解決し続ける、地域住民・NPO・行政との永遠の協働活動」とし、そのような協働活動を通じて、安心・安全・安定したくらしが世代を越えて保障され、信頼と活力がみなぎるコミュニティーが再生産され続けて行くものと考えている。また、地域に対する愛着や一体感も、この実践活動を通じて自然に生まれ出るものと思う。
定義では、
NPO活動においてまちづくりといえば、福祉、国際交流、地球環境、教育などの活動とは区別されている。しかし、まちをつくるという言葉からしても、本来は地域に関わる総合的な活動なのである。本論ではまちづくりを、コミュニティ再生活動といいかえることで本質的な意味内容をこの言葉に込めたいと思う。
それでは、まちづくり活動の舞台であるコミュニティをどのようにイメージすればいいのだろうか。わたしは、日常生活における共同的な生活基礎単位であり、地方自治体政府と個人との中間領域における自治空間でもあり、また、社会・経済システム改革の基盤にもなりうる単位と考えている。そして、安心・安定した生活基礎空間をベースに、例えば、インターネットに象徴されるようなグローバルネットワークという、コミュニティを越えた関係が、地域住民やNPOによって構築される開かれた世界がこれからのコミュニティだと考えている。住民には、生活基盤となる空間領域意識の回復、そして開かれた多様・多重な関係性の構築が一方では求められるのである。
わが国において、コミュニティが政策レベルでとりあげられたのは、1969年に国民生活審議会調査部会が『コミュニティ−生活の場における人間性の回復−』を報告、71年に自治省が『コミュニティ(近隣社会)に関する対策要綱』を発表し、モデルコミュニティ事業を展開するようになった60年代末から70年代初にかけてであった。国民生活審議会はコミュニティを、「生活の場において、市民としての自主性と責任を自覚した個人および家庭を構成主体として地域性と各種の共通目標を持った、開放的でしかも構成員相互に信頼感のある集団」と定義づけた。当時は「審議会や行政官庁の動きだけでなく、各政党の運動方針の中にも、コミュニティという言葉がさかんに出てくるようになった」(『現代のエスプリ−コミュニティ−』)というように、コミュニティブームを巻き起こした。大森彌はブームの背景を、「経済の高度成長の歪みと余慶が多くの人々の目を、ようやく地域生活のあり方と生活環境との点検に向かわせた時期に、タイミングよく提唱されただけに、ある新鮮な響きをもっていたことも否定できない。コミュニティが、戦中体験の社会的記憶を覚醒しつつも、一つのブームたりえたのは、むしろ都市化と核家族化のゆえに、都市住民の日常生活上の必要と「新しい家郷の創造」を求める心情とに呼応しえたからであったといえよう」(地方自治研究資料センター『コミュニティづくり読本』)と述べている。
当時の自治省の「モデルコミュニティ構想」は、先導的、予備的な施策として、全国にモデルコミュニティ地区を設定して、住民と市町村が中心となって新しいコミュニティづくりのモデルをつくろうとするものであった。特徴をあげれば、地区はおおむね小学校区、住民参加によるコミュニティ計画の策定、コミュニティ施設(コミュニティセンター、集会場、小体育館等)整備を中心とした近隣の生活環境整備、住民によるコミュニティ施設の管理運営、施設整備資金を住民から調達するためのコミュニティ・ボンド(コミュニティ施設整備債)の発行も盛り込まれていた。
しかし、「たたかう丸山」で有名な神戸市長田区丸山地区のはなばなしい住民活動がみられたものの、自治省の意気込みや関係者の期待とは裏腹に、いつしかブームは過ぎ去りコミュニティづくりは鳴りをひそめてしまった。その間の事情を大森は前掲書の中で、「コミュニティ形成が、ひとたび中央政府の発案により地方自治体の施策として推進されると、ともすれば町内会などの既存の地域集団へ実体化されやすかったことは否めない。・・・コミュニティ施策が、いかにたやすく、既存の地域集団に吸収されやすいか、また行政による住民把握の媒介手段になりやすかったかの逆証でもあった」と述べている。
わたしは、行政発意型・計画型・ハード整備型・地縁組織型・理念先行型のコミュニティづくりが、住民発意型・自然発生型・ソフトオリエンテッド型・ネットワーク型・実践型のまちづくり運動にとってかわられたと考えている。
まちづくり運動は、1973年の第一次石油シュック以降、急速に全国に広まった。石油ショックの2〜3年後に「地域主義」、「地方の時代」が提唱され、その考え方がまちづくり運動の思想的なバックボーンとなった。地域主義とは、「一定地域の住民が、その地域の風土的個性を背景に、その地域の共同体に対して一体感をもち、地域の行政的・経済的自立性と文化的独立性とを追求すること」(玉野井芳郎『地域分権の思想』)である。 運動の内容としては、例えば、地域の伝統文化・芸術・工芸の保存や継承に力を注ぐ活動であったり、歴史的な町並み保存・再生運動であったり、地場産業振興や特産品を開発して過疎の村を活性化させるための村おこし運動であったり、イベントによる地域の活性化など多彩な活動が全国的に展開された。
そして、活動の特徴としては、活動目的に共鳴する地域内外の人々による自発的・自主的な活動としてはじまり、イベントを重視した試行錯誤的な実践活動を繰り返しながら運動を展開していくというように、行政発意のコミュニティづくりの性格とは対極をなすものであった。
<参考文献>
さて、1970年初頭のコミュニティブームから数え、そろそろ30年になる。いま再びコミュニティ再生を叫び、あらためてコミュニティ政策を講じなければならないほど、内外の社会・経済状況は大きくかわりつつある。
ヒト・モノ・カネの流れのグローバル化に加え、昨今のインターネットによる情報のグローバルネットワーク化の急速な進展が、世界各国の政治・経済・社会・文化などのあらゆる分野に影響を及ぼしつつある。国民国家が消滅し、地球市民社会が現実のものとなりつつあるという意見の一方で、民族紛争の激化にみられるような民族意識の高まりや、自国の文化アイデンティティを求める意識も強まっている。
わが国においても、アメリカを中心とする先進諸国からの規制緩和要求を受け入れ、グローバルスタンダードに対応するための経済改革が進められつつある。「この世界標準という尺度は民間企業の活動が唯一の対象ではない。通信、金融、輸送、教育など国内サービス産業などはいうに及ばず、実は、金融政策、財政など国家の活動も含まれる。これらのすべての分野にわたって世界標準は浸透し、基本的には承認され、合意されるべき時代となっている」(中北徹『世界標準の時代』)とするならば、グローバル化が地域に及ぼす影響は大きいといえよう。市場経済の競争原理が、地域産業・商業の空洞化をより一層深刻なものにして失業率を高めるおそれがある。また、グローバルスタンダードとなった欧米の基準やルールが、わが国の地域の伝統・文化や生活のリズムを破壊して、コミュニティを解体してしまうおそれも充分にある。
いまあらためて、われわれ日本人に求められているのは、以下の認識ではないだろうか。つまり、わが国の近代化や、戦後の急激な都市化は、かってのまちや都市のくらしの中で育まれてきた、歴史と人間、自然と人間、神や仏と人間、風景と人間、経済的いとなみと人間、人間と人間とのそれぞれの絆や、関係をバラバラに断ち切ってしまった。断ち切ることが、すなわち近代化であり、都市化でもあった。いま、われわれは、失ってきた、あるいはかろうじて残っているこれらの絆や関係をあらためて再構築し直し、強固な絆で結ばれた安心で、安全な、そして安定したくらしがいとなめるコミュニティを再生しなければならないということである。
グローバル化が避けられない世界の流れとするならば、コミュニティに対する基盤強化のための総合的な政策と、グローバル化へ対応するための政策とのバランスがとられるべきだと思う。
そこで、コミュニティ再生・強化のためのコミュニティ総合政策立案のプロジェクトを提唱したい。対象になるコミュニティの空間領域としては、小学校区から中学校区の範囲を一応の目安としているが、厳密にはこの範囲にこだわらない。プロジェクトは、基本的には、地域で活動しているNPOと行政との協働事業と位置づける。共通目標として、地域住民やNPOイニシアチブによるコミュニティの管理・運営の可能性を追求するものとする。また、このプロジェクトを通じて、行政改革・財政改革・住民自治に連動する自治体改革のあり方もあわせて検討する。
プロジェクトの進め方としては、NPOと行政との共同でプロジェクトチームを編成する。そして、NPO活動の現場であるコミュニティをモデル地区に選び、NPOの種類、団体数、活動の実績評価や行政との関係を分析する。また、コミュニティを越えたネットワーク関係、自治会などの地縁組織の実態などを調査するとともに、NPO活動による地域の変容及び活動効果も分析する。それと並行して、行政の当該コミュニティに対する公共財・サービスの種類や内容の経年変化、政策の流れなどを分析する。また、その効果を評価するとともに、NPOに委託可能な公共サービスを分類する。商工業の実態把握として、業種・業態の変化、後継者問題などの分析。高齢者介護保険の2000年適用を前提とした地域福祉体制の問題・課題の分析。そして、グローバル化が地域に及ぼす影響や、行財政改革や地方分権の推進等が地方自治体やコミュニティに及ぼす影響なども分析する。
提案すべきコミュニティ総合政策として、以下の内容が考えられる。まず、NPO活動に関わるNPO政策としては、NPOと行政との基本的関係、公共サービスの供給主体としてのNPOの位置づけと供給内容、NPOの行政参画のあり方、NPOの支援システム、そして、NPOイニシアチブによる自治運営システムなどの提案ということになろう。コミュニティ産業政策としては、NPO事業の振興も含めた、地域のくらしを支え、働く場を創造する営利・非営利混合経済の振興策の提案。また、高齢者福祉、保健、医療の三位一体化された地域福祉システムの提案。自治の確立をめざした、個人と地方自治体との中間領域における新しい自治組織としてのコミュニティ運営機構(仮称)の提案。コミュニティ産業活性化のための助成・融資などを行うコミュニティキャピタル(仮称)の提案。土地利用計画・景観保全・環境保全・住環境・地域福祉・コミュニティ教育・コミュニティ産業、防災システムなどの政策が総合的に連動するコミュニティ総合運営計画の提案。
一方、以上に連動する自治体改革としては、地域最適政府をめざした効率・効果的な責任ある公共守備範囲の確定と、公共財・サービスの評価システムの確立。責任守備範囲の、個人レベルからコミュニティレベル、そして基礎自治体へと確定していくサブシディアリティの原理の確立。住民・NPOとの協働型行政のあり方に対する提案。情報公開、財政処理システム等の行政管理の改善。コミュニティ総合担当セクションの設置等による縦割りから横型組織への提案。NPOとの人材交流も含めた、地方公務員制度改革の提案などとなろう。
以上、これからの時代におけるコミュニティ総合政策の研究概要をざっと紹介したが、これらはじっくりと時間をかけて、出来るところから取り組んで行く内容だと考えている。また、この研究は、分野の異なるNPOどうしの絶好の連携・協力のプロジェクトであり、研究を支援する専門家、そして行政との三者共同プロジェクトとしても位置づける必要があろう。どこまで研究活動を展開できるかは諸条件により異なるが、地域におけるNPOの存在証明を確固たるものにするためにも、是非ともNPO側が仕掛けなければならないプロジェクトだと思う。そして、行政もその誘いに応じて積極的に参画し、予算措置等を講じてプロジェクトをともに推進していくべきだと思う。
コミュニティ再生に向けての、草の根からのこういった動きが全国各地から自然発生的に湧きおこってこなければ、日本の21世紀は本当に危ないのかもしれない。<参考文献>
市民という言葉、あるいは市民概念に関する議論が、批判も含めて目につくようになってきた。市民をベースに活動しているわれわれNPOも、無関心ではすまされない。あらためて、市民という言葉を検証し直してみる必要がありそうだ。
市民という言葉は、一般的には住民という言葉と区別されて使用されている。住民が、住民エゴという言葉に代表されるように、地域の利害にしばらえれた個人という否定的的なイメージをもっているのに対して、市民には、所属や立場、地域から離れて、自分の意思にもとづいて発言したり、行動する、自立した個人という肯定的なイメージが強い。わたしもいままで、状況に応じて市民と、住民とを適当に使いわけて使用してきた。まちづくりを語る時には、市民という言葉を使わない。例えば、住民による自主・自立のまちづくり・・・というように、住民という言葉を使ってきた。まちづくりの担い手としての住民という言葉は、地域に根ざした生活者、また、地域に責任をもつ個人というように肯定的なイメージで使っている。
市民概念でいう自立した個人、すなわち、所属・立場・地域などから離れて個人が完全に自由であるということが、果たして可能なのだろうか。厳密にいえば、そんなことはありえない。つまり、市民という言葉には、個の確立した自立的な人間になるように努力し続けましょう。また、「単に自立した個人というだけでなく、権利・義務を伴った」(今田忠「官・公・民・私」)民主主義の担い手になりましょうという、理想の市民像が無意識のうちに含意されているのである。わたしも以上のような意味を含めて、市民という言葉を使ってきたのは事実である。理念としての市民、願望としての市民、フィクションとしての市民である。
このことと関連して佐伯啓思は、『「市民」とは誰か』の中で、「戦後日本の知識人は、「市民」を民主主義の担い手として定義し、その民主主義は、官僚政治や保守政治という「密室政治」に対するものだとした。市民は、国家権力に対して、個人の権利をまずは主張し、それを政治的正義にまで高めて、権力と対峙するものとされた。ここにいわば「期待される市民像」が描かれたわけである」と指摘している。佐伯のいう「期待される市民像」の最大のポイントは、国家権力に対峙する市民像である。確かに1960年代後半までの政治運動や、市民運動には国家と対峙し、反国家・反権力を行動原理としている団体も多かった。しかしそれ以降に誕生している市民活動や、本論でNPOと呼んでいる市民団体には、国家や行政に対峙したり、反対のみを目的とするいわゆる反対運動団体は少ない。最近の活動は、かってのようにイデオロギーから出発しているのではなくて、日常生活の諸問題に対応するというところから活動がはじまっている。そのために、イデオロギー型の反対運動などとは行動スタイルが異なり、自分たちの関心領域に関わる問題・課題を、自分たちの手で解決しようと自主的に活動を展開することが多い。また、シンポジウムなどのイベントをつうじて社会に訴えたり、行政に対案を提示していくという提案型の活動が多くなってきている。そういう意味では、佐伯のいう市民像もかわってきているのである。
わたしはNPOを、「市民による自主的・自立的な非営利組織で、行政や企業では取り組めない社会のさまざまな問題や課題の解決に、先駆的・先見的に取り組んでいる公共活動団体」と定義づけた。ここで使っている市民という言葉には、わたしなりの意味を込めて使っている。もちろん、自立した個人、民主主義の担い手という意味も含んではいるが、次に述べる実体的な要素を加味したいと思っている。つまり、対行政責任である。市民は行政に責任を持たなければならないということだ。第2章の日本人の公私概念で述べたように、行政に対する日本人の責任感は薄い。行政活動に関心を持ち、行政のこれからのあり方に思いを巡らすことが大切であると思う。市民による対行政責任の具体的な姿は、国家や地方自治体が抱える問題や課題の解決のために、積極的に対案を提示する。また、協働関係の構築を働きかける。そして、公共活動の役割も分担するというような、お互いの信頼にもとづいた諸々の行動が、NPOをつうじて行われている状態のことをいうのではないだろうか。
また、佐伯は前掲書で、ヨーロッパから持ち込まれた市民概念には本来二つの概念が表裏一体となっていると述べ「古代的な美徳をもった市民、それを「市民的=シビック」と呼んでおきたい。これに対して、近代的な市民、私的な権利から出発し、自由や民主主義、そして博愛、平和といったものに価値をおく市民を「市民=シビル」と呼んでおきたい」とし、「「シビル」が、私的権利や私的関心などから出発した近代的な「市民」、むしろ「私民」とでもいうべきものを指すのに対して、「シビック」は、共同体の公的関心や共同利益というディメンションから出発する「公民」を指す言葉」として使いたいとしている。そして「「市民精神(シビック・スピリット)」は、あくまで公共的事項、国家的な事項に対する義務の観念が強く、勇気や名誉という古代的な美徳を重んじている。ここでは国家と私的生活を対立させないのである」と述べ、我が国へ持ち込まれた市民概念にはこのシビック・スピリットが欠落していたと指摘している。
わたしはこの指摘を謙虚に受け止めるべきだと思っている。そして、市民精神(シビック・スピリット)的な価値を、これからの市民概念に求めたいと思う。これは先程の国家、行政に対する責任とも関わっており、既に第2章で公共領域の担い手としてNPOを位置づけたが、佐伯のいう共同体の公的関心や共同利益から出発する公民で構成されているのがNPOだとわたしはみている。また、生活をいとなみ、活動を展開している地域・コミュニティに対する愛着、あるいは郷土に対する思いなくしてNPO活動はありえないと思っている。またNPO活動を通じてこそ、地域に対する愛着も高まるものだと確信している。
いづれにしても、個人それぞれの価値判断を含めながら、国民、市民、住民という三つの言葉を、使いわけなければならない状況は当分続きそうである。
さて、1997年3月に出された三重県と財団法人三重社会経済研究センターの『新しい市民社会の構築に向けた基礎調査』によれば、市民社会とは、「自己決定・自己責任の原則に則って行動できる自立した個人である市民が、自らの手で運営する社会である。そこでは、市民は横のつながりや関係を発展させることにより市民的公共性を生みだし、地域社会を形成する。市民の生活が社会、社会の運営ルールが民主主義であり、政府は市民によって一定の権限を委託されて行使するにすぎないと言える。つまり、市民社会とは「民主主義に支えられ、市民自治に基礎を置く多元的社会」である」としている」。
この市民社会の定義を読めば、先程の市民概念と同様、実体としてではない、理念としての市民社会、理想としての市民社会像、フィクションとしての市民社会がもののみごとに描き出されている。イメージとしては理解できるし、気持ちとしてはそういう社会であって欲しいとは思う。しかし、例えば、「市民が自らの手で運営する社会」とはどういう社会なのかというように、具体的に理解しようとすればするほど、その言葉や文章にリアリティが感じられなくなってしまうのである。この定義にクレームをつけるのがわたしの目的ではない。言葉や理念に陶酔しがちな、昨今の、わたしも含めたNPOの世界に警鐘を鳴らすつもりでいっているのである。
ところで、市民社会という言葉が、最近、このように頻繁に使われるのは、使いやすい「時代の雰囲気」があるからである。長くなるがその背景を説明してみることにする。わが国の明治以降、現在にいたるまでの社会の変化を、行政セクター・企業セクター・民間非営利セクター間の相互関係から分析すると、明治から第2次世界大戦敗戦までのわが国は、行政セクターである国家・政府が絶大な権力を発揮する形で、国家主義的な国づくりをリードしてきた。戦後は政府に支えられた企業セクターが、戦災復興に続く高度経済成長を担い、わが国を経済大国へと導いた。
しかし、戦後50年を過ぎた現在のわが国は、明らかに経済大国としてのかげりがみられる。高齢・少子社会への対応と同時に、戦後の社会・経済システムの再設計が求めらており、経済改革、行政改革、財政改革、そして地方分権の推進などの諸改革が行われつつある。ところが、改革によってどういった社会を構築しようとしているのか、つまり、21世紀の日本の国家像や社会像が政府や政党からは明らかにされていない。そのようなことも原因して、国民の間に、日本の将来に対する不透明感と閉塞感がとみに高まっているのである。
そういった状況において、震災でのボランティア活動や、NPOの活躍、NPO法案制定への勢いも加わって、民間非営利セクターに期待が寄せられつつある。またNPO当事者の心情としても、いよいよわれわれの時代がきたというような、自負心も強くなってきているのも事実である。
民間非営利セクターからすれば、明治から戦前までの国家・行政セクターという主役から、戦後の企業セクターという主役の交代を考えると、その延長線上にあたらしい第三の社会変革の主役として、民間非営利セクターを位置づけようとするのは自然な姿といえよう。ここに、民間非営利セクターの中核をなすNPOが主役の、あるいは、NPOの構成主体である市民が主役の市民社会像が描き出されるわけである。昨今、頻繁に語られる市民社会という言葉が、近代市民革命の市民社会概念などの文脈であるかどうかは別にして、以上の見取り図のもとに語られているといえよう。
夢を夢として終わらせないためにも、現実に目を向ける必要があろう。繰り返しになるが、民間非営利セクターは、行政セクター・企業セクターにとってかわれるわけではなくて、二つのセクターに対抗的な影響力を行使することによって、結果的に社会を変革していける可能性が高くなるということは第3章で述べたとおりである。
これからの社会は、NPOが、行政セクター・企業セクターに対して、いままで以上に強力な影響力を発揮していける社会であることは間違いない。そのためにもNPOは、自分たちの世界に閉じこもったり、抽象・理念の世界で満足しているだけでは駄目だと思う。いまこそ、地域・コミュニティの現場において、行政セクターや企業セクターとの協働関係を構築するために、具体的な行動をおこすべきだと思う。
最後に、これからのNPO像をわたしなりに整理しておくと、
「公共活動の担い手として、
本論を終えるにあたり、1997年5月に設立したNPO政策研究所についてふれておきたい。研究所は、「NPOやNPOセクター発展・強化のためのNPOに関わる政策の研究、及びNPO活動と連動する公共政策の研究と実現」を目的に設立した。事業の基本方針としては、地域・コミュニティレベルにおけるNPO活動と行政活動、またNPO活動と企業社会貢献活動との、それぞれの関係領域における政策を研究しようとしている。組織形態及び行動原理としては、もちろんNPOである。
現在の活動としては、「地方行財政改革とNPOに関する研究」、「企業とNPOの協働のあり方に関する研究」、「NPOの資金に関する研究」という研究活動を行っているとともに、第5章で述べたコミュニティ総合政策の研究プロジェクトを既に奈良で発足させている。今後、関西を中心に、何ヶ所かの地区でこのプロジェクトを推進したいと考えている。関係者の積極的な参画と協力をお願いして本論を終えることにする。_<参考文献>
レスター・M・サラモン、H・K・アンハイアー、監訳今田忠『台頭する非営利セクタ ー』1996年 ダイヤモンド社
本間正明編著『フイランソロピーの社会経済学』1993年 東洋経済新報社
山内直人『ノンプロフィットエコノミー』1997年 日本評論社
大川博・武川正吾『社会政策と社会行政』1991年 法律文化社
経済企画庁国民生活局編『市民活動レポート』1997年
総合研究開発機構『市民公益活動基盤整備に関する調査研究』1994年
電通総研『NPOとは何か』1996年 日本経済新聞社
ハンナ・アレント、志水速雄訳『人間の条件』1996年 ちくま学芸文庫
ハンナ・アレント、志水速雄訳『革命について』1995年 ちくま学芸文庫
阿部斉『デモクラシーの論理』1973年 中公新書
千葉眞『アーレントと現在』1996年 岩波書店
ユルゲン・ハーバマス、細谷貞夫・山田正行訳『公共性の構造転換』1996年 未来社
花田達郎『公共圏という社会空間』1996年 木鐸社
松本三之介『近代日本の知的状況』1974年 中公叢書
土居健郎『「甘え」の構造』1979年 弘文堂
林雄二郎・山岡義典編著『フィランソロピーと社会』1993年 ダイアモンド社
林雄二郎・連合総合生活開発研究所『新しい社会セクターの可能性』1997年 第一書林
季刊アスティオン「大特集 日本社会における『公』と『私』」1997年7月
溝口雄三『一語の辞典 公私』1996年 三省堂
加藤寛『福沢諭吉の精神』1997年 PHP新書
宮本憲一編著『公共性の政治経済学』1991年 自治体研究社
成瀬龍夫『くらしの公共性と地方自治』1994年 自治体研究社
松原隆一郎『さまよえる理想主義』1996年 四谷ラウンド
行政改革委員会「行政関与の在り方に関する基準」1996年12月16日
地方分権推進委員会「地方分権推進委員会第2次勧告」1997年7月8日
吉田民人・鈴木正仁『自己組織性とはなにか』1995年 ミネルバ書房
荒木昭次郎『参加と協働』1990年 ぎょうせい
小笠原浩一編『地域空洞化時代における行政とボランティア』1996年 中央法規出版
吉田民雄『都市行政の新しい設計』1995年 中央経済社
鳴海正泰『地方自治を見る眼』1992年 有斐閣選書
西尾勝・村松岐夫『講座行政学 市民と行政』1995年 有斐閣
真田是『民間社会福祉論』1996年 かもがわ出版
山本啓編『政治と行政のポイエーシス』1996年 未来社
自治省・民間非営利活動研究会「地域づくりのための民間非営利活動に対する地方公共 団体のかかわりの在り方に関する研究報告」1997年3月
財団法人21世紀ひょうご創造協会「地域社会における民間非営利組織(NPO)の役割 とその可能性に関する研究」1995年3月
東京都「行政と民間非営利団体(NPO)」1996年8月
市民セクター支援研究会「自治体における市民セクター支援に関する報告書」1997年3月
現代のエスプリNO68「コミュニティ」1973年3月 至文堂
地方自治研修センター編『コミュニティづくり読本』1980年 第一法規
玉野井芳郎『地域分権の思想』1977年 東洋経済新報社
中北徹『世界標準の時代』1997年 東洋経済新報社
発言者VOL24「特集 コミュニティを蘇生させよ」1996年4月
財団法人ハウジングアンドコミュニティ財団「現代的コミュニイティ試論
ネットワーワ ーク型コミュニティ研究会報告書」1998年9月
木原勝彬 「まちづくり団体に問われる責任能力」1996年1月 毎日新聞
企業市民ジャーナルVOL8「特集 NPOを考える」1997年5月
佐伯啓思『「市民」とは誰か』1997年 PHP選書
佐伯啓思『現代民主主義の病理』1997年 NHKブックス
佐伯啓思『現代日本のリベラリズム』1996年 講談社
久野収『市民主義の成立』1996年 春秋社
田中浩『国家と個人』1996年 岩波書店
阿部謹也『ヨーロッパを見る視覚』1996年 岩波書店
阿部謹也編『殺し合いが「市民」を生んだ』1994年 光文社
群像「座談会 「市民と国家」埴谷雄高・加藤春恵子・最上敏樹」1995年3月
三重県・財団法人三重社会経済研究センター「新しい市民社会の構築に向けた基礎調査」 1997年3月
総合研究開発機構「市民公益活動の促進に関する法と制度のあり方」1996年1月
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