ボランタリー活動や市民の社会的課題の解決に向けての自主的活動が、今大きく広がってきている。
21世紀を数年後に迎える時にあって、国際化、情報化、高齢化などの動きを背景に、民族問題、貧困の増大、地球規模での環境問題、福祉など多くの課題が湧出しているが、これらに対してはこれまでの社会システムでは十分な対応ができないことが次第に明らかになってきている。日本の社会のあり方は大きく変っていくことを迫られており、新たな社会システムの再編成と再構築が緊急の課題となっている。このような中で、社会のひとつのアクターとして自立的・自律的・自発的な市民による社会の課題への挑戦し、その克服を担おうとする組織的な対応が可能態としてありかつ現実的存在となりつつある。市民活動はそうようなひとつの形として考えられる。
このような意味で市民活動は、市民個々の思いを実現するだけではなく、現在の日本の社会を市民の立場から造りかえていこうとする動きとも見ることができる。社会的異議申し立てから政策提言へと、市民の公益的事業の遂行へと、市民事業の実施へと意欲をもって取り組まれ始めている。これらは、これまで経済的にも政治的にも社会の主要な部分を占めていた行政や企業活動の下請となったり、スキマのみを担うものではなく、必要な社会サービスを最も効率的でコストが低くかつより高い水準で提供していくことが可能となっている。また、市民セクターのみが独自に行なおうとするものではなく、社会を構成している市民、行政、企業の各セクターの協働によって、より効果的な事業が可能となるのではないかと考えている。
しかし、その重要性が共通の認識となり始めているのに比して、ボランタリーな活動や市民の公益的活動のための社会的環境は、日本においては十分に整備されているとは言いがたい。たとえば、市民組織の法人格取得の問題、市民活動に資金がまわる仕組みがないこと、情報やノウハウが行政や企業に独占されていること、また市民、行政、企業をつなぐ仕組みがないことなどである。
なにより、市民活動を行うに当たっては、現状の把握と問題・課題の抽出、そして地域の特性に応じた対応策のプランニングが必要であるが、このあたりは、じつは情報や専門性などにややもすれば欠けがちの市民セクターにとってのウィークポイントであるといえよう。この点での市民のエンパワーメントが必要になってきているのである。
ここにあたって、地域において三つのセクターをつなぐとともに、市民の立場から情報力や専門性を生かして市民活動を支援するとともに市民をエンパワーメントしていく機関が求められているし、期待されている。最近、民間によるNPOセンターの設立や行政による市民活動支援センターやまちづくりセンターなどが設立されているが、これらは、市民活動の支援という面で先駆的であり今後大きな役割を果たすことが期待されているが、調査・研究という面ではまだ十分な専門性を持つには至っていないようである。
このように、社会(地域)とシンクタンクの変革期に当たって、新しい機関=「コミュニティ・シンクタンク」の創設とその活動のあり方を提言することによって、ボランタリー活動や市民活動のエンパワーメントを通して、今後の成熟した市民社会の到来をより促進し、社会の自己改革力(社会的対応力)を増進する事ができると思われる。
ここで、市民活動を定義しておけば、広義の“市民活動”は「市民の自主的な参加と支援によって行われるあらゆる自発的活動」であり、狭義の“市民活動”とは「市民の自発的な参加と支援によって行われる活動で、社会的課題の解決に向けて自主的に行われる組織的・継続的活動」と言われる(『自治体における市民セクター支援に関する報告書』)。本論では、広義の市民活動を対象としながら、主に狭義の市民活動のニーズに応えていくものを考えている。
「市民参加」はこれまでは行政の補完として、あるいは行政の不得意の分野に市民の手をボランティア的に借りるというのがこれまでの姿勢であった。各種の「協議会」にせよ「参加型イベント」にせよ、多くの場合行政問題の解決のひとつの手段・機能として市民参加が形式的に求められ、行政が制度的にそれを支えるということが多かったのである。
ここで暗黙に前提とされてきた枠組みは、行政固有のものである公共的領域に市民の参加を求める(許容する)という構図であり、このような関係は、結局のところ参加といい参画といっても、既存のシステムを変えないで行政の公共領域を拡張し、そこへ市民を補完的に取り込むにすぎない。そこには公共性の問い直しと、行政の自己改革および市民の政治的成熟の視点がまったく欠落している。
このような逆転のよって来るゆえんについてはいちいち述べないが、公共=行政、私的=市民という固定的枠組みが形成されて来て、そのため、市民の行うことは、公共・公益の領域からいっさい排除されてしまうという構造を生み出した。これからの課題は、この構造を前提とした「参加」の枠組みを根本から変えていくということではなかろうか。
つまり、社会全体の中に公共領域があり、行政はその一部を(大きいが)担っているのであって、行政以外にも大きな公共の領域があることを確認していくことだろう。行政が対応できない所で、しかも市場経済の民間部門でも対応しきれない部分、これが社会・生活の中の大きな位置を占めていること。たとえば文化を育て・楽しみ・創造すること。たとえば障害者が自立して生きる条件を整え、支援すること。たとえば開発途上国の子どもに言葉を教え、、健康を守り、自分たちの文化を見つめ直すお手伝いをすること。さらに、大災害の被災地で、細やかな救援活動を持続すること。
あるいは、もっと小さな事、数人で近隣のお年寄りの給食を週に3回以上行うこと、通りに面した垣根を樹木とするような協定を結ぶこと。歩道に段差はないか調査をすること、公衆のたちいる場所に障害者用のトイレを設けることを提言することなど。
これまでは、このような活動は、行政に登録・許可され、補助をもらい、指導・監督されるものであったが、じつはそうではない。これらは、すべて市民的公共性の原理の上に成り立っている。このようにいまや新たな公共性の領域の顕在化が進んでいる。
「参加」の問題も、これまでの枠組みを問い直して、「参加」自体の自己変革と再構築が必要な時期に来ているのである。言い換えれば、市民セクター自身も、そのセクターの存在意義と形式の自己変革と再構築が求められている。
シンクタンクについては、「単なる調査研究機関ではなく・・・民主主義社会で、アカデミックな理論や方法論を用い、適正なデータに基づく科学的な政策形成のための実効性ある政策的な提言や提案、政策の評価や監視等を行い、それらを通じて政策形成過程に多元性と競争を生み、市民の政治参加を促進し、政府の独占の抑制をはかる組織である」(鈴木崇弘)という定義がある。これに独立性、公益性、非営利性、学術性、民間性をつけ加えるのが一般的であろう。この定義を受けて「非営利の、民間の、独立した政策研究団体で、政策形成に影響力を持つもの」とすれば、厳密には日本にはまだ存在していない。
R・マクナマラによれば、「シンクタンクの目標は、政治リーダーと世論に対して、公共の利益があるところを指し示し、教育をほどこすことにある」と言われ、政府に対する政策提案だけでなく、世論に訴えて社会の方向を示すと言うことが重要な役割になっているといことである。シンクタンクは、これまでの提案・提言先は国(政府)であるとか、自治体、企業であったが、本来的には現社会=世論に対してというのが本来の姿であろう。
政府や特定の企業から独立した、また経済的にも一定の組織に依存しないいわば自立した立場を守ることによって、提案や提言の公平さ、公正さを基調としている。このことが、かえって資金的にも広い範囲から寄付等を受け入れることのできる基盤を形成している。
日本では1960〜1970年頃から、政府から独立した政策提言機関が必要だと言い出された。この時代が直面したというか焦眉の課題として表に出てきた都市問題(公害や環境、資源・エネルギー問題、交通、住宅、都市開発、過疎・過密問題など)や新しい分野として現れてきた国際化関係に関する問題、情報化とかコンピュータリゼーション、文化・芸術を社会としてどう考えるかという問題、新しい福祉のあり方や高齢化社会への対応の問題などを総合的に研究し社会へ応用するための機関として必要とされてきたという経緯がある。
いわば、先の見えない時代にあって、さまざまな情報を集め、それを分析したりするなかから未来の透視図を描いていくことが求められたのであるが、これらの問題に対しては、それまでの行政組織(国の機関や自治体)や企業の調査部門、コンサルタントなどでは対応しきれないということもあり、各地にシンクタンクが設立された。設立形態は、国や地方自治体の外郭団体としてできたもの、金融機関などの調査部門が独立したもの、さらには新たに勃興してきた情報産業からの参入、それに加えて建築や都市計画のコンサルタントを母胎としたもの、リサーチ・社会調査などを母胎としたものなどの独立系のシンクタンクも誕生した。
欧米のシンクタンクは自立系や大学系が多く、政府や世論に対して比較的独立した立場からの「政策研究・提言」が多いが、日本の場合には、上記の設立経過や経済的基盤の弱さから、官庁や企業から有償で調査研究を受託するというコンサルティング業務が太宗を占めている。しかし、前述のように、シンクタンクとしては本来政策研究と提言が本道であり、社会的ニーズなのであって、この部分に大きな問題をかかえていると言えよう。
一般に政策研究は営利追求の間尺に合わないことから、企業傘下にある営利シンクタンクの多くは政策研究・提言を実質的に行うことは不可能となっている。一方、非営利のシンクタンクの多くは政府省庁(あるいは都道府県などの自治体政府)に帰属しているか、人材面、財政面、管理面などから政府の強い支配下にあるので、「シンクタンクの多くが、親会社をはじめとする関連機関の利益に反する見解を述べる自由や、帰属する政府組織に関して批判的な研究結果を発表する自由をもちにくい構図が存在している」(鈴木崇弘氏による)のである。財政的に特定のクライアントに依存している場合には、自主的な独立した政策提言といっても、クライアントの意向が大きく反映されてしまうということにもなりかねない。
このような事情から、日本のシンクタンクの問題点として次のことが指摘できる。
しかし、日本のシンクタンクは、これまでのように行政や企業といったクライアントに深く依存しているという形では、社会の大きな転換期にあっては有効な政策研究や政策提言はできない、すなわちその存在意義が大きく問われるという事態に直面しているのである。政府や世論から独立した判断こそが求められているにも関わらず従来の枠組みの延長上の研究に留まっていることが多かったからである。シンクタンクの改革の時を迎えていると言えよう。
大学も本来自由に政策における問題を追求するべきであるが、現場での具体的政策に手を出すことを嫌う傾向が以前からあることや、政府の代弁者としての役割(各種審議会など)に安住してきた傾向がなきにしもあらずであった。しかし、最近ではいくつかの大学で、政策研究を行うところが出てきているが、政策担当者の教育にとどまり、機関として実質的な政策提言を行うところまでには至っていない。
ここで、シンクタンクのこれからのあり方を探る上で留意すべき事について二点触れておきたい。
一つはシンクタンクの理念をどう日本に生かしていくか、ということである。特にシンクタンクの理念である、「政策形成・提言機能」を実際の政治過程の中に活かすことができるか、ということである。これには、政党や政治集団に比較的密着した立場からの調査研究にもとづく政策提言という方向があるが、一方、市民的立場あるいは地方政府(自治体)の領域からは必ずしも政党型ではなく、むしろ、市民セクターと地方政府セクターをむすぶ、インターミディアリーな位置にあって、両者のニーズを調整していくという方向が考えられる。
この場合にあっては、どちらかと言えば、市民セクターのニーズを汲み上げながら市民層をエンパワーメントする支援者としての役割も要請されるであろう。
いま一つの視点から見ると、シンクタンクの政策提言は、一つの正解を提示して、強力な行政の執行力により実施していくと言うのでは全くなく、逆に、社会の選択肢を増やしていくことにあるのだと言うことに基礎を置いている。それも、複数の選択肢から一つだけを選ぶというのではなく、それぞれの提言を実現化する世界というのはそれこそ複数あると言うことなのである。
というのは、この現代社会に置いては、ひとつの政策に収まるようなものはない、という冷厳な事実から来ているのであり、どのような政策も部分を覆うことができるに過ぎないからである。そうすると、多くの自由な提案・提言があることによって初めて、社会の全体をカバーすることができるという事になるのである。これが多様な価値観を持った社会の実像なのである。
このことは、現代社会にボランタリー・アクションやチャリティ、NPO(非営利組織)が大切なことと同じ事なのであり、シンクタンクの政策提言の多様性とNPO・ボランティアの多様性とは極めて密接な関係を持っているのである。いいかえれば、密接な関係を持つことなしには、シンクタンクの未来は無い、市民社会の中で有用な役割を果たすことはできないのである。
さて、「政策」あるいは「政策提言」とは何かをもう一度考え直してみる時に、政策主体はどこにあるかを問い直すことが必要である。これまで、日本では、「政策」は政府(国、自治体)のみが行うもので、政府に任せておいたら間違いがない、とされていて、一般市民にとってはそれにアクセスする手段は選挙しかなかった。選挙においてすら、政策が論議されることは少なく、その時々のニュースになる争点だけがクローズアップされてきたにすぎない。そして、政府の政策を担当するのは実質的には、「官僚」であった。
しかし、「市民的公共性」の時代にあって、「参加」のスタイルが模索されている現在、政策主体はむしろ市民にあると考えるべきではなかろうか。これまでのガバナンスのシステムをはじめあらゆる社会システムが行き詰まりをみせていることからもそれは理解される。
ところで、ここで政策には様々なレベルがあることを確認しておかなければならない(上等、下等という意味ではなく)。たとえば、国の方向を示すものも、地域の方向を指し示すものもそれぞれ「政策」であって,もっと小さなレベルで言えば、地域のゴミ処理場をどこに建設するかや、ひいてはゴミをどのように減らすか、なども極めて重要な「政策」なのである。
このような政策を、その主体(自治体;市民の機関としての)が決めることを、自治といい、そのようになることを促進することを地方分権というのであります。
実は「政策」は市民のものなのだが、残念なことに市民(市民セクター)に政策形成力が十分あるとは未だ言えないのが現況でもある。
市民が政策主体として登場するとき、政策形成を実質的に担う組織が必要になる。それは、個々の市民活動から出てきた課題、掘り起こされた市民のニーズ、生活者としての市民がこれからつくるあげるべき“まち”の方向をトータルにイメージし、夢に形を与える作業であり、ニーズを政策化した具体的なビジョンを提出するものである。
この作業は、もとより市民自身が問題派遣・提起者として、プロセスにおけるワーカーとして参加すべきものである。しかし、市民自体はフルタイムでの参加が困難であること、情報収集・分析、モデル(政策)形成には専門的な知識と構想力が必要なこと、さまざまな分野のアクターや専門家とのネットワークが必要なこと、などから、この作業を担うべき組織が必要となる。これらの要件は、一見行政の役割と似ているところがある。しかし、ここでいう組織は、市民から発した課題を市民的立場で解決する政策を提案するものであって、行政の計画する政策に対してのオールタナティブな政策を提示するものである。あるいは、行政の政策を評価するものである。同時に、政策提言のプロセスをいわばワークショップとして市民参加を全うさせるものである。
このような成り立ちの必要条件を検討すると、これはNPOの成り立ちと近いところにあることに気づく。一方、本来的なシンクタンクのあり方とも極めて近いところにあるのである。
こうして、市民の政策提言を支援し、あるいは市民に政策提言能力をエンパワーメントする機関=組織として、NPO(非営利組織)のシンクタンクが必要であることが明らかになる。このシンクタンクは、市民のダイレクトなニーズを政策展開するものであるから、一方で地域に根ざしたものである必要があるだろう。これをわれわれは『コミュニティ・シンクタンク』と呼ぶことにしたい。
次に、すこし寄り道をして、日本のシンクタンクの新しい模索について整理してみよう。
2節で述べたように、現代日本のシンクタンクは大きな岐路に来ている。政策研究・提言に関連した問題を再度整理すると次のようになる。
a) 財政的に自立していないため「自由」で「独立」した政策研究・提言ができにくい
b) 政策研究・提言(マクロ、ミクロレベルとも)を行う習慣と動機が少ない
c) 政策研究・提言を実現するルートを持っていない
すなわち、国や自治体、あるいは企業サイドからの委託調査・助成研究だけでは、現代社会の本当のニーズは捉えられないばかりか、社会的公正という視点からもあまりに一方的な立場を補強する役割しか担い得ないという構造になっている。また、官庁の外郭団体でない限り政策主体とのルートを持たないため、たとえ提言しても言いっぱなしになりがちなのである。この隘路を打開する方途のひとつとして、政策主体としての市民に密着した『コミュニティ・シンクタンク』を提案したのである。
もうひとつの問題として、有償の委託調査・コンサルタント業務が中心であると、お金のないところからは受注できないことになる。つまり、お金のないところの仕事はやりたくても(必要があっても)できないことになる。たとえば、環境問題では開発者側の調査はやっても、市民や地域住民の側からの調査はできなくなり、市民サイドからの環境影響評価はどうしても弱くなってしまう。また、予算の潤沢でない自治体や役所内の部署もシンクタンクに調査研究を依頼できないか低廉な予算で部分的な調査を行いお茶を濁さざるを得ないということになる。これでは、時代的な課題を解決するにはすこし困った事態と言わざるをえない。
ただ、独立系の小さなシンクタンクの中には、採算を度外視したり、ほんの実費だけでこういったところの調査研究をしているところもないわけではない。それでも、多くは営利法人(株式会社、有限会社など)のかたちをとっているので、基本的には採算性を度外視するわけにはいかないのである。
このあたりに助成財団などからの助成金が調査・研究に対して出て、オールタナティブな政策提言がもっと出てくると、国民・市民の選択肢が増えて好ましい。もちろん、いくつかの財団が市民の立場での調査・研究に助成しているところもあるのが、たいていの場合市民団体に直接助成を行うため、研究水準という面からは問題がないわけではない。
こうして、市民セクターをクライアントとした調査・研究が可能なかたちを追求しなければならないのである。
さきほど、『コミュニティ・シンクタンク』=「地域の核としてのシンクタンクという構想(市民のエンパワーメントの援助者)」ということを述べたが、シンクタンクの多様性とNPO・ボランティアの多様性とは極めて密接な関係を持っていることを思い出したい。言い換えれば、この両者が密接な関係を持つことなしには、シンクタンクの未来は無いし、市民社会の中で有用な役割を果たすことは次第にできなくなってくるし、市民活動の深化もまた困難になってくると思われる。
コミュニティ・シンクタンクの必要性についてと、現代日本のシンクタンクが地域や市民セクターを目指すことがシンクタンクの役割を再生することであることを述べてきたが、ここで『コミュニティ・シンクタンク』のイメージを機能、役割、形態、社会の諸セクターとの関係(市民セクター、政府セクター、企業セクター、大学)などから整理する。ただ、筆者はまだ十分に『コミュニティ・シンクタンク』のイメージを固めていないし、各方面との議論もまだ不十分であり、ここでは検討項目のスケッチを示すにとどめざるをえないことをお断りしておく。なお、実際の設立に際してはこれら項目のなかから現実的な課題に絞る必要があると思われる。
○参画に耐え得る力を市民活動団体がつけるため、あるいは自主的、自律的に政策形成に参画することや、さまざまな力を持った市民を結集しまとめていく核となる
○市民活動が課題解決のために行う調査研究を、専門的な立場から支援する
○さまざまな市民活動、活動人の力を総合するための核となる
○まちづくりをすすめる市民と企業・行政のパートナーシップのコーディネイト
○地域におけるフィランソロピー活動のセンター
○地域活動、市民活動に関する情報センター
○地域の課題に関する情報センター
○地域学の研究所
○市民活動支援センター(情報、マネジメント、事務)
○市民活動に関する教育・学習機能
○「まちづくり」システムの開発、参加のデザインの開発
下記のような形態が考えられるが、必要なことは、組織的に、継続的に活動を維持できること、委託受託、助成などにあたって混乱をきたさないこと、常設の事務所をもつことである。できれば、選任の研究員(コーディネーター、プロデューサーなど)を雇用できることが望ましい。避けなければならないことは、役所・官庁の外郭団体・研修機関であったり、委託トンネル機関となることである。
○任意団体
・自由に設立できるが、社会的信用、法的立場に困難がある。
・組織化の最初はこの段階を通らざるを得ない。
○財団法人・社団法人
・現時点では基金などの面で困難。監督官庁の干渉の危険もある。
○市民活動法人(市民活動促進法が成立した場合)
・適切な法人格獲得を考慮すべきである。
○株式会社・有限会社
・資本金さえあれば設立は容易だが、営利目的と混同される危険がある。
・一方で、資金開発面でこの形態の併設も考えられる。
○個人および個人のネットワーク
・政人、企業人のボランティア的参画が考えられるが、継続性、常設性に問題がある。
・しかし、どのような形態をとろうと、このネットワークは必需である。
○大学連合、あるいは大学教員のネットワーク組織、研究会
・大学との連携は今後追求しなければならない重要課題である。
・中心機関としては別途必要と思われる。
○営利ないし非営利研究機関の一部
・ある水準のある研究能力を持つことはいいが、市民的立場が希薄になるおそれがある
・親研究機関の意向に左右され、継続性に問題が残る
○企業人のネットワーク
・個人のネットワークと同様の問題をはらむが、企業人個人とのネットワークは非常に重要である。
○企業の一部門(フィランソロピー活動)
・資金的には優位だが、親企業の意向が入り込む危険がある。
・社会的に公正さの問題が発生する。
○地域における三つのセクターとの関連
・コミュニティ・シンクタンクが三つのセクターの接着剤として作用する必要がある。
・協働事業のための主体として、たとえばグランド・ワーク・トラストのような仕組みを生み出すことも考えられる。
・協力、協働をする場面も持ちながら、批判的な緊張関係も必要
・研究の成果を共有していく(パブリックなもの)としていくことが必要
○市民活動とのパートナーシップ(関わり方の境界領域)のあり方
・市民活動のアクティビティの中に入り込むか、距離を置いて接するか、という距離の関係を議論する必要がある。
・批判的協働の姿勢が必要
○企業セクターとのパートナーシップ(関わり方の境界領域)のあり方
・協働する場面としない場面とを仕分けして、どちらかだけの固定的な関係をつくらないことが大切である。
・企業フィランソロピーとして、インターミディアリー機関への支援が必要
○行政とのパートナーシップ(関わり方の境界領域)のあり方
・行政の行う諸計画を、市民の立場から再構築するプロジェクトを受託するべきである。
・協働する場面としない場面とを仕分けして、どちらかだけの固定的な関係をつくらないことが大切である。
・行政と市民との間に立ち、相互のコミュニケーションを媒介すべきである。
○大学とのパートナーシップ(関わり方の境界領域)のあり方
・知的リソースとして、学生への教育の面でも協働する事が必要である。
これまでに述べた「コミュニティ・シンクタンク」構想の実現には、現実的に超えなければならない多くの課題、壁が存在する。時代状況として、コミュニティ・シンクタンクが緊急に必要とされるにもかかわらず、社会的現状としてはその基盤はあまりにも整っていない。この場合、これを代替する「しくみ」を探すか、コミュニティ・シンクタンクを部分的にも作り上げていくかの方向が考えられる。最終目標をきちんと設定した上で、中間的なシステム形態を模索する必要があろう。
以下、課題のみを列挙する
○設立の中心的人材があるのか。スタッフのシンクタンカーの資質はどうか。
○資金をどうするか(資本金、基金)
○多くの、自律的市民活動をまわりに集められるか。(クライアントとなる)
○設立母胎との関係を整理できるか。帰属的、誘導的な関係にならないか。
○法人格をどうするか
○ボランティアとしてのシンクタンカーのネットワークづくり
○社会的認知を受けることができるか
○地域シンクタンクの経営のあり方
○どれだけ市民活動が成熟して、政策提言を志すグループが現れるか。市民ニーズがあるかどうか。
○行政などからの受託ないしコンサルティングが見込まれるか
○自主事業を行えるか(資金的に、人的に、テーマ・ニーズ的に)
○市民サロン、交流・討議の場、フォーラムを設けることができるか
○交流・ネットワークのノードとなりうるか
○一般市民向けの事業展開ができるか(ワークショップなど)
○マネジャーの確保
○運営資金をどうするか
○事業費の借り入れ
○専任職員の人件費をどうするか
○補助・助成金の確保(助成財団等との関係)
○政策提言の質を常に最上に保つことができるか
○政策提言するルートを開拓できるか
○常時、情報発信を行えるか
○インターネットなどの情報化を活用した情報発信
○他のシンクタンク、大学、研究機関との連携
○市民活動支援センター、NPOセンターなどとの連携
○設立のプロセスのシナリオづくり
○既存シンクタンクの戦略的改変
○市民活動支援センターのエンパワーメント
○自立的研究機関の育成
このように『コミュニティ・シンクタンク』が一種の社会のビタミンとなって、各セクターが共有する情報のもとに、均衡しつつもダイナミックな関係を取り結ぶことができれば、それが新しい市民社会への第1歩になるだろう。
(すぐた はるお)
【参考文献】
1)『政策形成と日本型シンクタンク』アーバン・インスティチュート編(東洋経済新報社),1994
2)『自治体における市民セクター支援に関する報告書』市民セクター支援研究会編(市民セクター支援研究会),1997
3)「日本におけるシンクタンク −政策研究機関としての現状と課題−」鈴木崇弘 「ESP 1997.9号」
4)『政策形成の創出』下河辺淳監修(第一書林),1996
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